逆風のなか、前例のないキャリアに挑む

 あるとき、自分の専門分野の研究所の室長がローテーションすることになり、ついては、後任の立候補者を募集すると関係者に非公式なアナウンスがありました。

 当時、研究所の室長を立候補者から選出するのは、前例がなく異例中の異例です。なぜなら、研究所の一室と言えども、その分野のトップは、それなりの研究分野での実績と評価が必要だからです。加えて、なによりも、先代や先輩らの目利き力によって評価、選出された人物でなければなりませんでした。つまり、従来の室長選出は「密室の議論」を経て決められるのが通例だったのです。

 海外の企業では、部長や室長などのポストに空きが出ると、まずは社内公募を行い、該当者がいなければ外部から採用するというのが標準的な人財登用法です。しかし、日本では主流でなく、味の素も例外ではありません。公募システムは導入されたものの、まだまだ一般的ではないというのが現実です。

 そんな背景もあるなか、研究所の室長に立候補した当時の私は、川崎工場の製造現場の課長職でした。 

社内では研究とは程遠く、大胆すぎると思われたようです。実際に私と同じアミノサイエンス系の先輩格にあたる工場部長から「あなたのような人間が研究所の室長になるのは、ふさわしくない。〇〇君のような人こそふさわしい」と皮肉を言われたことを今でも覚えています。

 しかし、自分より若い人たちに「キャリアを諦めてほしくない」ことを伝えるには、自分が新しい前例をつくるしかないと私は考えていました。

 偶然ですが、自分と技術分野は異なるものの、のちに、サイゼリヤ株式会社の社長となる堀埜一成氏が隣の研究所の室長として川崎工場から同時に異動してきました。

 しかし、堀埜氏は、当時は硬直的な人事諸制度と運用を続けていた味の素の経営に「夢」を感じられなくなり、その後、味の素をやめてしまいました。のちに社長になるような人物が会社をやめてしまうのは、どう説明してもいい人事制度、運用とは言えません。

 それほどまでに、当時の味の素に根づく空気感は澱んだものになっていたのです。