大企業の社長や起業家、科学者など、いわゆる社会的に成功した方々にたくさん取材する機会を得てきました。その数は、3000人を超えています。誰もが知る有名な会社の社長も少なくなく、「こんな機会はない」と本来のインタビュー項目になかったこともよく聞かせてもらいました。インタビューで会話が少しこなれてきているところで、こんな質問を投げかけるのです。
「どうして、この会社に入られたのですか?」
数千人、数万人、中には数十万人の従業員を持つ会社の経営者、あるいは企業を渡り歩いて社長になった人となれば、仕事キャリアに成功した人、と言って過言ではないと思います。仕事選び、会社選びに成功した人、とも言えるでしょう。ところが、そんな人たちの「仕事選び、会社選び」は、なんともびっくりするものだったのです。
本記事は、『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋してご紹介いたします。

北尾吉孝さんが、49歳になって初めて知ったこととは?Photo: Adobe Stock

中国古典が精神的バックボーンに 

 49歳になって、ようやく天命を知った、という経営者もいました。SBIホールディングスの創業者、北尾吉孝さんです。野村證券ではニューヨーク拠点などを経験、事業法人部を率いた後に、44歳でソフトバンクに転じ、49歳で独立しました。

 野村證券では将来の社長候補として早くから異例の抜擢を得ていました。その理由は北尾さんが金融業界を選んだ理由を明快に語っていたことも大きかったのかもしれません。マーケットが非常に大きいこと、資本主義の歴史の中で新産業を作るリーダーシップを発揮してきたこと。

 慶應義塾大学経済学部卒業後は銀行に行こうとしていた北尾さんでしたが、大変な熱意で野村證券から誘われることになります。土壇場になって、野村證券に決めるのです。

 そして異例のキャリアが始まります。通常、新入社員は営業からスタートしますが、最初から総合企画部に配属になり、イギリス留学、ニューヨーク拠点、さらにはアメリカのM&A企業の役員なども務めるのです。

 父親の影響もあって、中国古典の世界が精神的なバックボーンとしてあり、それが一つの人間的な強さになって表れていたのかもしれない、と語っていました。顔つき、物言いや風格など、他の人とは違うものがあったのかもしれない、と。

 実際に大学時代、よく勉強していたし、たくさんの書物も読んでいたそうです。だから面接で、「投機の経済的意義を述べよ」と言われても、はっきりと答えることができた。また最終の副社長の面接では、どんな仕事がしたいかと言われて、こう答えるのです。

「どんな仕事でも結構です。社命に従ってやらせていただきます。ただ、どこに行っても僕は、世界経済の中の日本経済、日本経済の中の金融機関、金融機関の中の野村證券という3つの位置づけを常に考えながら働きたいと思います」

 副社長は「あいつはオレが直接指導する」と語ったそうです。そして北尾さんは努力を重ねて結果を出します。期待されている数字の1割、2割増しではなく何倍もの数字を自ら目標にするのです。成果には運、不運もある。しかし、まずは人事を尽くす。努力する。そして待つのだ、と。

 ソフトバンクの孫正義会長からの誘いは、天の導きだと感じたそうです。同社での経験が、起業につながっていきます。

 人は、生まれたときから、この世の何かから使命を与えられていると思う、と北尾さんは語っていました。それを、起業した49歳で自覚するのです。すると、それまでに起きたことが、すべて与えられた天命に向かって起きていたことだったと感じたそうです。

 だから、どんな仕事も一生懸命にやらないといけない。どんな職場にいても、努力しないといけない。それが、後の大事な肥やしになるからです。すべてを受け入れるのです。

 こうも語っていました。正しく生きようとすること。人間性を磨くこと。それが、他を利する。いつかそれは、自分に戻ってくる、と。

※本記事は『彼らが成功する前に大切にしていたこと 幸運を引き寄せる働き方』上阪 徹(ダイヤモンド社)より、抜粋して構成したものです。