『独学大全──絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』著者の読書猿さんが「勉強が続かない」「やる気が出ない」「目標の立て方がわからない」「受験に受かりたい」「英語を学び直したい」……などなど、「具体的な悩み」に回答。今日から役立ち、一生使える方法を紹介していきます。
※質問は、著者の「マシュマロ」宛てにいただいたものを元に、加筆・修正しています。読書猿さんのマシュマロはこちら

「何事も最後までやり切れない…」と悩む人がしている壮大な勘違い【『独学大全』著者が答える】Photo: Adobe Stock

[質問]
 失礼いたします。私は現在学生の者です。
 読書猿さんに問題解決•独学での、心の持ちようについてお聞きしたいことがあります。

 私は、問題解決や独学をする時の、やり方を一つに決めて、実行に移しやり切る(責任を負うとも言うのでしょうか)という一連の流れで、いつも心の中で言い訳をして、逃げ道を作り やり切る前に逃げ出してしまいます。

『独学大全』や他の方のマシュマロでも紹介されていた本居宣長の言葉や、中級の壁の話を読んで、兎にも角にも、細かいやり方云々よりも、まずは始めてやり続けるしかないことを、理屈としては分かりました。

 ですが、かっこ悪い話で、いざ始めても「取り敢えずで始めたやり方、みんなはもっとちゃんと調べてる」「準備が足りてない」と頭に浮かんできて、自分の中の言い訳に負けて、しがみつき続けられなくて、暫くやらなくなったり、今までやってきたことを無かったことにして はじめからやり直してしまいます。

 メンタル的なところで、こうした逃げ癖が染みついてしまった臆病な私に、何か一言アドバイスをいただけないでしょうか。

 今まで、周囲の大人や先生、同年代が優しかったり•凄かったり、たまたま運が良かったりで、問題解決•学習において自分でやり方を決めてやり切るという経験をせず、明確な失敗の傷を負わないで、何となく、幼稚で無力な自分のまま乗り切ってしまいました。
 思い返してみると、周囲の同年代や、読書猿さん、Twitterで独学報告している方々のように、意識して自分でやり方を選び、進んでいったり、決めていったりという感覚がなく、自分一人では一つの区切りを迎える前に、うやむやにして逃げ出してしまいます。
 そもそも学習や人生経験が少ない未熟さから来るもので、とにかく挑戦して経験を増やすというところに帰結するのかもしれませんが、どうか読書猿さんのお力を貸していただけないでしょうか。

まずはちゃんと失敗することから始めましょう

[読書猿の回答]
 申し訳ありません。私は「心の持ちよう」というものを信用していないので、よいアドバイスはできかねます。それでもせっかくのマシュマロなので何かお答えしてみようと思います。

 まず「やり方を一つに決めて最後までやり切る」ことができないのは、人生経験が少ないからでも未熟であるからでもありません。
 それは人間の仕様です。
 自分以外の人間はうまくやれていると思うのは、よくある誤りです。少なくとも私(読書猿)はいまでも繰り返し「やり方を一つに決めて最後までやり切る」ことに失敗しています。

 また、あなたが「いつも心の中で言い訳をして、逃げ道を作ってしまう」のは、それが許される状況にあるからです。
 これを避ける(少しでもその可能性を減らす)には、「許されない状況」を作れば良い。
 また、そういう状況がつくれないと、どんな「心の持ちよう」をしても、やはり言い訳をして逃げ道を作ってしまうと思います。

「許されない状況」を作る簡単なやり方は、『独学大全』で紹介した中ではコミットメントレターがあります。例えば、あなたのマシュマロの中にも書いてあった「Twitterで独学報告」がそれです。

 アカウントを作り、これから取り組もうという課題や教材について「これから@@をやる」とつぶやきましょう。毎日「今日は**をやった」とつぶやきましょう。

 それでもあなたはうやむやにして逃げ出し、途中でやめてしまうかもしれません。

 しかし最初に「○○をやる」と宣言したことで、今度こそあなたは明白に失敗することができます。いや、すでにマシュマロを投げてこのように返答されたことで、もし「Twitterで独学報告」から逃げたとしても、今度は「せっかくのアドバイスをもらったのに生かせなかった」という失敗が待ち受けています。

 いまのあなたは、自分に言い訳をして取りやめてしまうことで、せっかくの失敗の機会を棒に振っている、つまり失敗することについてすら失敗しているのです。
 まずは、ちゃんと失敗することから始めましょう。自分でしでかした失敗は、世界で唯一の自分だけのための教材となります。

 以下は蛇足ですが、「心の持ちよう」というものを信用していない理由を説明するのに、『歎異抄』第13章に登場するエピソードを紹介しましましょう。

 親鸞から「とりあえず1000人殺してこい。そしたら極楽へ行けるから」
と言われた弟子は
「とてもムリです。1000人どころか1人もムリ」
と答えます。この問答の後、親鸞はこう解説します。

「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといわんに、すなわちころすべし。しかれども、一人にてもかないぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」
(これで分かるだろう。何ごとも心のままにできるのなら、極楽行きのために千人殺せと言われたら素直に殺すだろう。しかし一人も殺すことできないのは、そういう原因と条件がないので、殺すことができないのだ。自分の心が善いから殺さないのではない。また、害せずにおこうと思っても、百人千人を殺してしまうこともある。)