「スターってすごいな…」坂本龍一が恐怖すら感じた、「同じ釜の飯を食った」デヴィッド・ボウイとの再会写真はイメージです Photo:PIXTA

坂本龍一を「世界のサカモト」へと押し上げた代表的な仕事の一つに、大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』への出演および音楽提供がある。坂本は南の島で1カ月余り寝食を共にしたデヴィッド・ボウイやビートたけしについて、興味深い言葉を残している。本稿は、佐々木敦『「教授」と呼ばれた男――坂本龍一とその時代』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

南太平洋のラロトンガ島に
集まった奇跡の顔ぶれ

 原作の舞台はジャワ島だが、『戦場のメリークリスマス』の収容所シーンの撮影は南太平洋のラロトンガ島で行われた。映画は1982年8月23日にラロトンガでクランクインし、途中でニュージーランドのオークランドにロケ地を移して、10月7日にクランクアップした。

 1カ月余りの撮影期間は、かなりの早撮りと言える。予算上の制約や多忙な出演者たちのスケジュールの都合もあっただろうが、大島渚が撮り直しを好まず、ファーストテイクの生々しさを極度に重視する監督であったことも大きかっただろう。

 このことは、坂本龍一とたけし(この時はまだ漫才コンビ「ツービート」のビートたけしであり、国際的な評価を受ける映画監督となるのはずっと先の話である)という、映画というものに初めて出演する2人にとっては幸いだった。演技らしい演技を忌み嫌う大島の演出スタイルが、彼らが自然体で役を演じることを可能にしたからである。坂本龍一のキャスティングは、ちょうどその頃に出版された、彼がモデルの1人を務めた稲越功一の写真集『男の肖像』と、同じ時期に彼が出演していた新潮文庫のCMが決め手になったという。坂本龍一はカメラの前に立つことにはすでに慣れていた。

 この映画の物語は、おおよそ次のようなものである。

 1942年、ジャワ島に置かれた日本軍俘虜収容所にセリアズという名の英国陸軍少佐が連行されてくる。収容所長のヨノイは、セリアズの不遜で反抗的な態度に戸惑いつつも、次第に惹きつけられてゆく。収容所を仕切る鬼軍曹のハラと、日本語が話せるのでハラに通訳を命じられ、いつしか奇妙な友情を育んでいく英国人俘虜のロレンス。ヨノイとセリアズ、ハラとロレンスという、2組の日本人と英国人、この4人の男性はいずれも主役と言ってよいだろう。

 だがストーリーを動かすのは、また別の男性2人、朝鮮人軍属のカネモトとオランダ人俘虜のデ・ヨンである。カネモトがデ・ヨンをレイプする事件が起こり、ヨノイとハラは対応に追われる。このことがきっかけで、日本軍と連合軍俘虜とのあいだに軋轢が生じ始めたところに、セリアズがやってくる。

 この映画には女性がひとりも登場しない。映画の後半に挿入されるセリアズの回想シーンも含めて、とにかく男しか出てこない。このことは戦争時の俘虜収容所という舞台設定上、当然とも思えるが、大島渚はこの「男たちの物語」という点を徹底的に掘り下げることで、独自のドラマを構築している。