2023年1月11日に高橋幸宏、3月28日に坂本龍一が続けて亡くなり、「イエロー・マジック・オーケストラ」(YMO)の3人が演奏することは永遠になくなってしまった。しかし、レコード(記録)は永遠に残り、音楽や映像は時空を越え、いつでも視聴することができる。世界の音楽市場を1970年代末から短期間で制したYMOはその後、三者三様の音楽活動を展開しつつ、90年代以降は時折顔をそろえてライブに出演し、テレビ番組にも登場していた。二人の軌跡をたどる(敬称略)。(コラムニスト 坪井賢一)
3人の音楽は生年と出身高校が表れている
YMOは結成当初、イニシャルにピリオドが入っていた(Y.M.O.)。が、次第にピリオドが消えたり、「HASYMO」になったり、グループ名はいろいろと変遷した。本稿では便宜上YMOに統一する。
YMOを生み出したプロデューサーである細野晴臣が1947年生まれの団塊世代で、2023年7月に76歳になる。高橋幸宏は1952年6月生まれ、70歳で世を去った。坂本龍一も1952年1月生まれ、早生まれなので高橋より一学年上、71歳で没した。
3人の音楽を考えると、生年と出身高校のキャラクターが表れているように思う。細野は完全な団塊世代であり全共闘世代だ。高橋と坂本は大学に入るころ、すでに学園紛争は終わっている。しかし、細野は立教高校から立教大学、高橋も立教高校から武蔵野美術大学短大の出身で、東京の富裕な家庭で知的遊戯に長け、非政治的な環境で育ったことは想像できる。立教高校といえば多くのポップス系ミュージシャンを輩出している私立高校だ。ユーミン(松任谷由実)だって系列の立教女学院高校の出身である。
坂本は高橋と同様、全共闘世代ではない。東京都立新宿高校を1970年に卒業しているので、全共闘運動の最盛期は高校生だった。当時、暴れ回る大学生を間近に見ていた大都会の公立高校生は、学生運動の影響を強く受けて、高校でも紛争を起こしていた。坂本もそんな環境にいたはずで、細野や高橋とは違った。
東京藝術大学の作曲科へ進学した坂本は、通常ならやがてアカデミックなポジションにつくか、クラシック系現代音楽の作曲家になり、立教でポップスに染まっていた二人と接点はなかったかもしれない。ところが、坂本はロックや民族音楽に関心を持ち、スタジオミュージシャンとして活動を始める。同世代の高橋は、立教高校在学中からドラマーとしてスタジオミュージシャンをしていた。二人は大学生時代に出会っていたようだ。
高橋は短大を中退してプロのドラマーに、坂本は大学院に進学したが、スタジオ活動も続けていた。70年代半ばに、「はっぴいえんど」を経て有名になっていた細野のアルバムに参加した。