撮影時の気さくなボウイと
カンヌでのスター然としたボウイ

 坂本龍一とデヴィッド・ボウイはこの撮影の前に雑誌『ニューミュージック・マガジン』の1979年2月号で対談したことがあったが、撮影現場となったラロトンガ(南太平洋の国クック諸島の主島)にミュージシャンは彼ら二人だけということもあって、すぐに意気投合した。『『戦場のメリークリスマス』知られざる真実』のインタビューで、坂本はこう語っている。

 本当にフランクで自然につきあえる人だったんです。すごく気さくで、一緒にご飯を食べたり、お酒を飲んで話したり。(…)ホテルでご飯を食べたあとに、食堂に置いてあるドラムをぼくが叩き、ボウイがギターを弾いて歌ってというセッションしたりとかすることもありました。そういうときは古いロックンロールを歌ってました。(『『戦場のメリークリスマス』知られざる真実』)

 デヴィッド・ボウイは1947年生まれ、坂本龍一より五歳年上で、細野晴臣と同い年である。

 撮影時、ボウイはまだ30代半ばだった。すでに国際的な名声を得ていたが、その人気を不動のものにするアルバム『レッツ・ダンス』(1983年)のレコーディングは、『戦場のメリークリスマス』の撮影直後から開始されている。

 坂本龍一はボウイにサウンドトラックへの参加を打診したが、この映画には役者としてだけかかわりたいと固辞された。のちに映画がカンヌ映画祭に出品された際に2人は再会している。

 カンヌでのボウイは撮影中の気さくなボウイとはまったく人がちがって、完璧なスターの趣きでした。スーパースター。ぼくはちょっとゾッとして、この人はいったいいくつ人格を持っているんだろうかってこわくもなった。この完璧なスター然としたボウイが素のボウイなのか、ラロトンガでの自然に振る舞っていた彼のほうが素なのか、本当にわからなくなって、スターってすごいなって思いましたね。