ぼくは同じミュージシャンだけど、自分を客観的にとらえても素のぼくとミュージシャンのときのふるまいや人格ってあんまり変わらないと思うんですよ。(同前)

 確かにそうかもしれない。私の記憶にある彼もそうだ。だがデヴィッド・ボウイとはまた違う意味での多面性が、坂本龍一にも明らかにあった。

 撮影はタイトだったが、坂本龍一にとっては――おそらくデヴィッド・ボウイとビートたけしにとっても――非日常的な南国の島で、浮世のせわしなさからひと時離れて過ごす、贅沢な時間でもあった。

たけしの部屋を訪ねて
「相対性理論」で大盛り上がり

 ビートたけしと直接対面したのも、この時が最初だった。当時のたけしは、1980年代初頭に巻き起こった漫才ブームの中で、ビートきよしとのコンビ、ツービートがスターダムを一気に駆け上がり、大きな人気を獲得していた。だから坂本龍一が、たけしのことをお笑いの人としか認識していなかったとしても、無理はない。ところが撮影が始まって、たけしが泊まっていたホテルの部屋を訪ねた時、予想外の光景に驚かされるということがあった。

 部屋中に中学の参考書が山のように高く積まれてて、ところどころに赤線を引きながら読んでるんですよ。数学、理科、社会とあらゆる教科の。勉強が好きな人なんだなあって、素顔に接した気持ちがしました。それから一緒にご飯を食べるようになると、相対性理論の話とかで2人で盛り上がっちゃって、ずいぶん熱く語り合ったりもしました。(同前)

 思えば坂本龍一も、尽きることのない知的好奇心の持ち主だった。この2人が相対性理論以外に、どのようなことを語り合ったのか、興味は尽きない。

 ビートたけし=北野武は1947年生まれ、デヴィッド・ボウイと同い年である(誕生日も10日しか変わらない)。空前の漫才ブームは退潮の兆しを見せ始めていたが、たけし自身の人気は絶大だった。

『戦場のメリークリスマス』が日本で劇場公開されるのは1983年5月だが、予告編にも使われたあまりにも有名なラストショットのなんとも言えない風情を湛えた笑顔をはじめ、複雑なニュアンスに富んだたけしの演技は評判を呼び、その夏に放映された実話をもとにしたテレビドラマ『昭和四十六年大久保清の犯罪』で連続女性殺害事件の犯人を凄みたっぷりに演じると、役者としての評価はますます高まった。その後、86年末に「フライデー襲撃事件」を起こして有罪となり謹慎するが程なく復帰し、89年に『その男、凶暴につき』で映画監督デビューすることになる。