【事例8】

 自分がそこにいて、目が覚めていることにびっくりしました!これは自分が死んだということなのか、それとも医師に与えられた薬のせいでそうなっているのか悩みました。

 残りの151人(採点可能なグループの35%)は、覚醒感や意識の明瞭さや思考の明晰さがやや高まった(70人、16%)か、かなり高まった(81人、19%)と報告していた。

【事例9】

 事故現場で意識を失っているあいだ、わたしはその上空に浮かびながら、すべての光景を見下ろしていました。木に衝突した車が見え、救急車が見え、近所の野次馬や停車中の車が見えました。わたしに危険はなく、痛みもありませんでした。頭はどこまでも冷静で、自分の下で起きていることを完璧に把握していました。不快感も、批判めいた気持ちも不安もありませんでした。

 わたしの魂はわたしの身体を離れ、高次の意識状態にありました。皮肉にも、身体は「意識不明」の状態にありながら、魂は身体と心が合わさったよりもはっきり覚醒していました。
【事例10】

 意識は普段よりはっきりしていました。普段よりずっとはっきりしていて、頭まで賢くなっていたのです!「まだ死にたくない!」とイエスさまに文句を言ったのは、ちょっと小賢しすぎたかもしれませんが。心も身体もずいぶんと楽になっていました。
【事例11】

 思考と感情の両面で広がりを感じました。頭と心のどちらかが、というのではなく、どちらも高いレベルで機能していました。普段の生活では経験したことがないようなレベルです。それから、すべてを思い出しました。人生のすべての日を、すべての会話を、これまでに読んだ本のすべての単語(!)を。

 わたしは濫読家ですが、このような体験への備えを説いた本は読んだことがありません。20年か30年前に読んだきり、忘れていた詩を思い出したのですが、あとで確かめると正確に思い出せていました。宇宙のどこかに第2の記憶の貯蔵庫があって、あのときのわたしは、そこになんの苦労もなくアクセスしていたのだと思います。わたしは完全に明晰で、完全に目覚めていて、完全に冷静でした。