死に瀕した極限状況下では
唯物論はもはや成り立たない
意識は明瞭で、研ぎ澄まされ、クリアで集中していました。思考は普段よりもずっと速くて論理的でした。高精度の複雑な機械が膨大な量のデータを処理して答えを吐き出している感じ、と言ったらいいでしょうか。脳がスーパーコンピュータに変わったかのようでした。むちゃくちゃに聞こえるかもしれませんが、死んでいたときのわたしは天才でした。そして、死んだあの日ほど目覚めていたときはなかったのです。ほら、むちゃくちゃでしょう?

アレクサンダー・バティアーニ 著、三輪美矢子 訳
以上、脳と心のもうひとつの極限状況(心停止か呼吸停止、あるいは心肺停止のいずれかをともなう臨死状態)に関するこの調査の結果をまとめると、わたしのチームはまず、調査対象者のかなりの数が、臨死体験中に視覚的イメージが普段どおりかそれ以上に鮮明になったことをみずから報告したとする考えを裏づけるさらなる証拠を発見した。
次に、調査対象者の大多数が、臨死体験中に、意識の明瞭さや記憶力や論理的思考が普段どおりかそれ以上に高まったと述べていることを見出した。一方で外部の観察者は、こうした患者たちは意識がなく、たいがいは死に瀕していると考えていた。
したがって、この調査の結果は、わたしのチームが終末期明晰で突き止めたこと――死が近づいて脳機能が低下したタイミングに認知機能と精神機能が高まる――とうまく合致し、もっと広い意味では、脳と心の関係の境界ないし極限条件下では心を脳の機能に帰する唯物論はもはや成り立たない、という考えにも合致する。あるいは、表面上はそう見えるのだ。