「父は死ぬ間際に自分の葬儀の算段を語った」患者たちの最期のメッセージに驚きと感動が止まらない写真はイメージです Photo:PIXTA

重い病の床につき、知的能力を永久に失ったと思われていた者が、死の数日前に思いがけず意識を取り戻すことがある。そうした「終末期明晰」の事例を体系化すべく、筆者はさまざまな情報を集めた。死の淵で患者は何を思い、愛する人々に何を語っていたのだろうか。※本稿は、アレクサンダー・バティアーニ『死の前、「意識がはっきりする時間」の謎にせまる「終末期明晰」から読み解く生と死とそのはざま』(KADOKAWA)の一部を抜粋・編集したものです。

患者は終末期に何を語るのか?
家族への短い『さよなら』

 多くの報告が示唆していたのは、患者が自分の(明晰性のエピソードに入る前の)認知機能の衰えを自覚していたこと、またかなりの数の患者が、明晰な時間が長く続かないのを知っていたらしいことだった。なかには死が迫っていることを明言して、残された時間で家族や友人や介護者に別れを告げた患者までいた。これらの発見は、ピーター・フェンウィック(編集部注/イギリスの神経生理学者)らの研究グループが得た結果とまたしても合致しており、調査の対象となった患者の多くが、自身の差し迫る死を敏感に感じ取っていたことを裏づけていた。

 まとめると、こうした報告では、5つの話題が繰り返し語られていたことになる。家族との思い出、死が近いという意識、旅立ちの準備と最後の望み(「やり残したことを片づける」)、そしてときに、身体的な問題(空腹や喉の渇きなど)だ。大多数の事例で、これらの話題のひとつ以上が明晰性のエピソードの最中に語られていた。

【事例1】

 父とわたしは、1時間以上語り合いました。昔のことを思い出しながら……父の記憶はとても鮮明で、わたしがすっかり忘れていたいくつかの場所の名前も覚えていました。それから父は、遺言に含めなかったものや所有品のことを話し、家族と友人で分けてほしいと言いました。そのあいだずっと父は穏やかで落ち着いており、とても理性的で、話しぶりも明瞭でした。いま考えると、あのとき父の心はすでに世を去っており、後始末がきちんとできているかどうかをただ確かめたかったのだと思います。

 最後に、父は自分の葬儀とその算段について語りました。なんとも不思議な経験でしたが、父はいたって穏やかなリラックスした様子で、かつ強い責任感をもってこの話をしており、わたしはそのあと家に帰りながら、車のなかでさっき起きたことの意味にようやく思い至りました。つまり、父は父なりのやり方でさよならを告げていたのだ、ということに。