「学校では習わなかったやばいエピソードを知って、歴史が好きになった」
子どもたちからこんな感想が寄せられているのが、「すごい」と「やばい」の両面から日本史の人物の魅力に迫った『東大教授がおしえる やばい日本史』です。本書の監修をつとめた東京大学史料編纂所教授の本郷和人先生によると、学校の歴史の授業で出てくる「すごい」偉人たちも、実はものすごい失敗をしたり、へんな行動をしたりした「やばい」記録がたくさん残っているそうです。子どもだけでなく、大人からも「子どものときに読んでおきたかった」「偉人の人間くさい一面が知れて親近感がわいた」との声が続出し、親子で楽しく読めると話題になっています。今回は、本書より一部を抜粋・編集して、誰もが知っている偉人・聖徳太子の「やばいエピソード」を紹介します。
聖徳太子は飛鳥時代のスーパースター
聖徳太子は「10人がいっせいに話した内容を全部理解して、アドバイスを与えた」といった数々の伝説をもつ飛鳥時代の大スター。
当時の日本は「豪族」という力のある一族たちが権力を争っていました。とくに仏教を支持する蘇我氏と、日本古来の神様を支持する物部氏のバトルははげしく、政治は乱れまくり。
そこで太子は仏教派の蘇我氏とタッグを組み、物部氏を倒して争いをおさめ、法隆寺や四天王寺といったお寺を作って日本に仏教を広めたのです。
さらに太子は、政治の大改革も行います。かれが作りあげたのが「冠位十二階」という、かつてないシステム。天皇に仕える役人を12の地位に分け、頭にかぶる帽子(=冠)の色で身分の上下を区別しました。
セレブ生まれならアホでも役人になれた時代に、家柄に関係なく実力で評価されるしくみを整えたのです。
また、「十七条憲法」という、役人が守るべきルールも定めました。「ワイロをうけとってはいけない」「勝手に税金をとってはいけない」といったルールで、まずしい国民を守ったのです。
驚くべきことに、このふたつの改革は、いまの政治の基本と同じ。そんなシステムを約1400年も前に作りあげた太子は、間違いなくスーパースターです!
「上から目線」の手紙で隋の皇帝をキレさせた
飛鳥時代、日本の近くでいちばん力をもっている国は隋(中国)でした。日本と隋の差は大きく、隋がゾウなら日本はネズミ、隋がバラエティ番組の司会者なら日本は後輩のひな壇芸人のようなもの。
じつは太子の政治改革も、隋をお手本にしていました。意識高い系皇子の太子はイケてる国の仲間入りをしたかったのです。
607年、ついに太子は使者の小野妹子(ちなみに、おっさん)を派遣し、隋の皇帝にコンタクトをとります。しかし、太子からの手紙を読んだ皇帝は「なんて無礼な手紙だ!」とブチギレ。手紙にはこう書かれていました。
日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす
これは日本を「太陽が出てくる国」、隋を「太陽がしずむ国」とたとえたうえに、皇帝のことをあらわす「天子」という言葉を自分にも使うという、ダブルで上から目線な内容。太子の「日本も隋に負けてないんで!」という気持ちがあふれてしまったのですね。
かわいそうなのは使者の妹子です。記録によると、妹子は旅の帰り道に、隋の皇帝からの返事を泥棒にぬすまれています。
でも、これはおそらく妹子のうそ。皇帝がものすごく怒った返事を書いたため、持ち帰ったら太子や推古天皇に恥をかかせると思い、こっそり手紙を捨てたのでしょう。太子は意識高すぎな困った上司だったのですね。
人は「すごい」と「やばい」でできている
何か「すごい」ことを成しとげた人は、歴史に名前が残ります。でも「すごい」だけの人なんて、この世にひとりもいません。
むしろ、ものすごい失敗をしたり、へんな行動をしたりして、まわりから「やばい」と思われているような人が、誰にもできない偉業をやってのけていることもあります。
いろんなことを考え、行動し、ときに失敗し、そこから学び、たまに成功する。カッコいい一面もあれば、ダサい弱点もある。だからこそ、人は面白いのです!
(本稿は、『東大教授がおしえる やばい日本史』から一部を抜粋・編集したものです)
東京大学史料編纂所教授。東京都出身。東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。大河ドラマ『平清盛』など、ドラマ、アニメ、漫画の時代考証にも携わっている。おもな著書に『新・中世王権論』『日本史のツボ』(ともに文藝春秋)、『戦いの日本史』(KADOKAWA)、『戦国武将の明暗』(新潮社)など。監修を務めた『東大教授がおしえる やばい日本史』はシリーズ77万部。最新刊『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』も発売中。