学校の授業で教わる歴史には、偉人たちの「すごい」逸話が数多く出てきます。しかし、ただ単に「すごい」だけの人物は、この世に一人としていません。実は、歴史の中には、「すごい」人の「やばい」記録もたくさん残っているそうです。そんな「すごい」と「やばい」の両面から日本史の人物の魅力に迫ったのが、東京大学史料編纂所教授の本郷和人さんが監修をつとめた『東大教授がおしえる やばい日本史』シリーズです。
今回は、シリーズ最新刊の『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』より一部を抜粋・編集して、浮気と宗教にハマった「やばい戦国大名」のエピソードを紹介します。
父に復讐し、九州の覇者に
豊後(大分)の戦国大名である大友宗麟は20才のとき、実の父に殺されそうになります。宗麟は父の正妻の子で、大友家の正式なあと継ぎでした。しかし父は側室にメロメロだったため、側室の息子・塩市丸をあと継ぎにしようとたくらんだのです。
父は宗麟派の家臣たちを次つぎに罠にかけて殺害。とうとう宗麟をも手にかけようとしますが、計画に気づいた重臣たちによって、逆に父と側室と塩市丸が殺されました。
そんなトラウマを抱えながら大友家の当主となった宗麟は、21才のときにキリスト教の宣教師・ザビエルと出会います。宗麟はかれにキリスト教の布教をゆるしますが、これはポルトガルなどから便利な品物を輸入し銀を輸出する「南蛮貿易」のきっかけ作りのため。
宗麟は南蛮貿易で得た利益で大砲などを買い、日本で初めて西洋の最新兵器を手にしました。そして九州6か国を支配する大大名にステップアップしたのです。
最初こそ貿易が目的でしたが、宗麟はその後キリスト教の教えに感動し、教会や神学校を作ったり、キリシタンとなった少年たちを使節団としてローマに派遣したりと、生涯キリスト教の布教を保護しました。最終的には自分も洗礼を受け、キリシタン大名になったのです。
浮気と宗教にハマり、妻から呪い攻撃を受ける
若いころに家族関係でモメまくった宗麟ですが、自らの浮気性のせいで再び大モメします。
宗麟には、九州一の美人といわれた奈多夫人という妻がいました。しかし宗麟ときたら、家臣の妻を側室にしたり、「あの芝居小屋に美人の踊り子がいる」と聞いて飛んでいったり、人気役者を呼んで毎晩宴会をしたりとやりたい放題。
奈多夫人が「浮気や宴会をやめて、ちゃんと政治をして!」とうったえても聞く耳をもちません。しかも費用はすべて税金なので民衆まで苦しめる始末でした。
さらに宗麟がキリスト教にハマったことでふたりの関係は最悪になりました。夫人は神社の宮司の娘なので、夫が異国の神をあがめるなんてゆるせなかったのです。
とうとう宗麟はキリシタンの側室・林ジュリアとともに家を出ていき、夫人と離婚。一方的に離婚された夫人は心を病み、自殺未遂をくり返します。そして憎きジュリアの目をつぶすため、国中の僧侶を集めてガマガエルの目に熱した鉄をつきさすという、おどろおどろしい呪いをかけるようになりました。
宗麟は元妻の壮絶スピリチュアル攻撃にビビり、呪いに協力した僧侶を全員国から追い出したという話が伝わっています。
人は「すごい」と「やばい」でできている
「歴史」とは、過去の人々が残した記録です。そこに名前が残るのは、何か「すごい」ことをした人たち。でも「すごい」だけの人なんて、この世にひとりもいません。
とんでもない失敗をしたり、激怒されたり、ドン引きされたり……。歴史のなかには「すごい」人の「やばい」記録も残っています。
だけど、人間ってそういうものです。時代や、年齢や、その場の空気や相手によって、人の考えや行動はガラリと変わります。
「すごい」日もあれば、「やばい」日もあり、そういう日々が重なって、とてつもない偉業を成しとげたりもする。だからこそ、人はおもしろいのです!
(本稿は、『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』から一部を抜粋・編集したものです)
東京大学史料編纂所教授。東京都出身。東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。大河ドラマ『平清盛』など、ドラマ、アニメ、漫画の時代考証にも携わっている。おもな著書に『新・中世王権論』『日本史のツボ』(ともに文藝春秋)、『戦いの日本史』(KADOKAWA)、『戦国武将の明暗』(新潮社)など。監修を務めた『東大教授がおしえる やばい日本史』はシリーズ77万部。最新刊『東大教授がおしえる さらに!やばい日本史』も発売中。