「仕事に慣れることは、ときにお客様を遠ざけます」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が『記憶に残る人になる』。ガツガツせずに信頼を得る方法が満載で、「人と向き合うすべての仕事に役立つ!」「とても共感した!」「営業が苦手な人に読んでもらいたい!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、営業にも慣れてきた著者が抱いた「ある違和感」について紹介します。
緊張だらけだった営業1年目
営業になったばかりの頃、僕は当時すでに31歳だったとはいえ、それまでとはまったく異なる仕事に毎日が緊張の連続でした。
もともと僕は度胸がなく、幼い頃からことあるごとにドキドキして過ごしてきました。運動会の前日には「リレーでバトンを落としたらどうしよう……」などと考えては、緊張で寝不足になる小心者ぶりです。
営業活動にも、その性格は見事にでてしまいました。テレアポの電話をかける前には何度も深呼吸して、「いつになったらかけるんだ!」と先輩から叱られる始末。営業経験のある同期が「行ってきます!」と颯爽とオフィスを出ていく姿が羨ましく思えました。
アポイントで伺った先でも、緊張しっぱなしでした。飲食・接客業しか経験がない僕は、ビジネスの知識もまるでなく、毎回、知らない言葉や質問を聞くのが怖くてしかたありませんでした。
だから緊張を鎮めるために1時間前にはアポイント先の近くに到着して、心を落ち着かせるためにミントのタブレットを次から次へとボリボリ食べていました。
カフェでは何度も水をお代わりして、お客様を待ちました。そうやってなんとか気持ちを落ち着けていたのです。
成績が出るようになって訪れた「違和感」
そんな小心者の僕も、半年も営業をしていると段々と緊張がとれてきました。まだテレアポをしていましたが、よっぽど調子が悪い日でなければ1、2件はアポイントをとれるようになっていたのです。
「最初にこの説明をして、こう反論されたら、この話で切り返して……」
テンプレができあがり、そこから大きく外れる商談はそう多くはありませんでした。
商談に伺うときも、以前とは違って10分前にアポイント先に到着し、スマホをいじって時間をつぶし、5分前になると迷わずインターフォンを押して「アメックスの福島です」と言えている自分がいました。
仕事で緊張することはなくなり、決して良くはありませんが悪目立ちしない、そこそこの成績が出せるようになりました。
普通なら自分の成長を感じて嬉しくなるところですが、僕は同時に強烈な違和感を覚えました。
「営業って単純作業だな」と思い始めていたんです。
それまでは必死に目指していた目標も、コツを掴んでくると、それほどの労力をかけずとも到達できるようになります。すると、そこから先は現状維持のための努力になります。
その結果、仕事に面白みを感じなくなります。
いわゆる「マンネリ化」が訪れていました。
マンネリを感じている人には「挑戦」が足りない
挑戦には必ず「失敗するかもしれない」という緊張がともないます。
つまり緊張しなくなったということは、挑戦していないということです。
自分ができることをただ繰り返しているだけだから成長できていないし、仕事も面白く感じないんだ。僕はふと、その事実に気づきました。
「仕事にマンネリを感じている」
「テンプレでこなしている」
その姿勢はお客様にも伝わります。そんな人に仕事を頼みたいと思う人はいません。
お客様から信頼され続けるためには、緊張できる挑戦をし、成長し続けなくてはいけないのです。
(本稿は、『記憶に残る人になるートップ営業がやっている本物の信頼を得る12のルール』から一部抜粋した内容です。)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。高校時代は友人が一人もおらず、18歳で逃げ出すように上京。居酒屋店員やバーテンダーなどフリーター生活を経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。当初は営業成績最下位だったが、お客様の「記憶に残る」ことを目指したことで1年で紹介数が激増し、社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。38歳で株式会社OpenSkyに入社。40歳で独立し、個人事務所を設立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。