ツール・ド・フランスで超重要な役割を担うまさかの日本企業とは?(c)A.S.O. Billy Ceusters

111回の歴史を誇るツール・ド・フランス。その舞台裏では、意外にも日本企業が大きな役割を演じていた。1980年代、東芝やパナソニックが大型スポンサーとして君臨。今や、シマノの最先端技術が選手たちを支える。スポーツとビジネスが交錯する、知られざる「ツール・ド・フランスの経済学」に迫る。(取材・文/スポーツジャーナリスト  山口和幸)

ポガチャル
総合優勝を近づける

 ツール・ド・フランスが雌雄を決するアルプス山脈に突入。7月18日にギャップ〜バルセロネット間の179.5kmで行われた第18ステージでは32歳のビクトル・カンペナールツ(ベルギー、ロットデスティニー)が大会初優勝を遂げた。前年の大会では毎日のように逃げたが、優勝できなかった。今回のコースが発表されると、「勝つチャンスがあるのはこの日しかない」と照準を定めて、コースに合わせた高地トレーニングを積み、悲願の優勝を射止めた。

 7月19日には、アンブリュンからイゾラ2000までの144.6kmで第19ステージが行われ、総合1位のタデイ・ポガチャル(スロベニア、UAEチームエミレーツ)が優勝。総合成績での2位以下との差をさらに広げ、3年ぶり3度目の総合優勝に大きく前進した。

 日本人にはイメージできないレベルの大山脈。灰色の岩肌、涼しい風がそよぐ草原、万年雪を源流としてなだれ落ちる水脈。立ちはだかる壁の向こうに行くために人々が切り拓いた峠道が舞台となる。第19ステージは、舗装道路として欧州最高峰のラ・ボネット峠(標高2802m)がコース終盤に採用された。朝早くからサイクリストが頂上を目指してペダルを漕ぐ。ものすごい勢いで上ってくるプロ選手たちを目撃するためだ。空気の薄さをだれもが自覚し、ペダルが重く感じるに違いない。

マーケティングに使われる
ツール・ド・フランス

 選手たちがやってくる1時間半前、ツール・ド・フランス名物の広告キャラバン隊がラ・ボネット峠にもやってきた。広告キャラバン隊はおよそ40社、600人。合計200台の車両に分乗して、23日間で1200万個のおみやげを沿道にバラまく。

 ツール・ド・フランスの魅力はプロ選手によるバトルだけではない。沿道のファンにとっては、レースに先行してやってくる協賛各社の宣伝カー部隊も楽しみのひとつだ。若くて元気な男女が軽いノリの音楽に乗って笑顔を振りまき、商品サンプルやキャップなどの拡販グッズを沿道に配布しながら通過するのだ。

ツール・ド・フランスで超重要な役割を担うまさかの日本企業とは?広告キャラバン隊 Photo by Kazuyuki Yamaguchi

 ツール・ド・フランスは、そもそも新聞社が始めたイベントだ。スポーツ新聞紙ロト(現レキップ)の主催によって1903年に始まった。そのころライバル紙に水を開けられつつあったロトの、拡販キャンペーンの決め手として、自転車によるフランス一周レースが企画されたわけだ。ツール・ド・フランスとは文字どおり「フランスを一周する」という意味なのである。第1回大会の規模は6ステージ、総距離2428km。最も長いステージはパリからリヨンまで467kmもあった。

 1903年7月1日午後3時16分、パリ郊外のモンジュロンという町にあるカフェ「レベイユ・マタン」の前を、78選手がスタートした。「目覚まし時計」という意味を持つレベイユ・マタンだが、ツール・ド・フランスはここに歴史の幕を開けたのである。こうしてその新聞は飛躍的に販売部数を伸ばしたのだが、この大会に目をつけたのが消費者を相手に商売をする企業だ。