山口 お金には、それを発行している国の存在も大きく関わってきますね。

岩井 多くの人は国の信用力や権力によってお金の価値が支えられていると思っています。でもそれも間違いです。第一次世界大戦後にドイツがハイパーインフレ(通貨価値の暴落)に見舞われたように、いくら国がお金を発行しても誰も受け取ってくれなければ、その価値は失墜してしまいます。こうして国の信用力や権力もお金の価値をバックアップできないことに、多くの人がようやく気づきはじめています。

 お金はお金として流通するからお金である、という基本原理に、ようやく認識が追いついてきた。その例が電子マネーですが、その原理はお金が生まれた時点からあったということです。突き詰めれば、人間が言語を話し始めて、人間が人間となった頃からその原理は存在しました。

山口 どちらかといえば、僕は実態価値に基づいて判断するファンダメンタリストとしてのスタンスで物事を見ていて、お金は価値と信用を数値化したもので、それらを媒介するものだと考えています。しかし、一方でマネタリストたちは交換価値を非常に重視していますよね。そして、価値と信用を媒介するというお金本来の役割が忘れ去られてしまい、たとえばGDPよりもはるかに多くのマネーが流通するといった状況を招いています。あるいは、各国の中央銀行が無節操に輪転機を回してお金の価値がどんどん希薄化している現象とか、そういった金融政策に関して先生はどのようにお考えでしょうか?

岩井 少なくともこれまでのところ、短期的政策としてはアベノミクスはうまくいっていると思っています。

アベノミクスの真の狙いは、世代間の所得移転にある

山口 人為的に流通量を拡大してお金の価値を希薄化させる権限を、時の権力はあまり行使すべきではない、と考えています。たとえば、貨幣のモラルという観点でも、お年寄りが大事に抱えてきた現金の価値を希薄化させることは問題がありそうで、非常に判断が難しいとの思うのですが、その点はいかがでしょうか?

岩井 アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあるというのは正しい。そして、わたしはすでに年寄り世代ですが、それは望ましいことだと考えています。

 そもそも、資本主義と金融は密接な関係にあります。資本主義とは、アイデアを利潤に転化する仕組みです。多くの場合、若い人はアイデアを持っているものの、お金がありません。一方で、多くの年寄りは、お金はあるけれどアイデアがない。金融が両者を仲介することでアイデアが新しいビジネスとなり、新しいイノベーションを起こすきっかけともなっていくわけです。