大井川鐵道 Photo by Fumihito Takase大井川鐵道 Photo by Fumihito Takase

過疎化による乗客減、台風などの災害による寸断、親会社の撤退……全国のローカル鉄道が直面する難題に約50年前から立ち向かい、経営危機を乗り越えてきた会社がある。本物の蒸気機関車を使った「きかんしゃトーマス号」で知られる、静岡県の大井川鐵道※だ。6月末に、いすみ鉄道やえちごトキめき鉄道での実績で知られる鳥塚亮氏が新社長に就任したその前日、“社長最後の日”の鈴木肇氏に話を聞いてきた。(フリーランスジャーナリスト、編集者 高瀬文人)

※大井川鐵道は、2000年に従来の「大井川鉄道」から商号を変更した。本連載では商号変更以前の事象を扱う際も、現在の「大井川鐵道」の表記に統一して記述する。

ローカル鉄道再生請負人・鳥塚亮氏が大井川鐵道の社長に

 静岡・大井川鐵道の新社長に鳥塚亮氏が就任した。第三セクター鉄道「いすみ鉄道」「えちごトキめき鉄道」の公募社長を歴任、過疎化にあえぐローカル鉄道そのものを「商品」にし、地元と密着して相乗効果を高める経営手法により、特に鉄道ファンにはよく知られた存在だ。その社長就任の知らせはネットを駆け巡った。

 しかし大井川鐵道は、1976(昭和51)年から半世紀近く蒸気機関車(SL)保存列車を走らせるなど、そもそも鉄道を観光地へ行く手段でなく「目的」とするパイオニアであった。いま、全国各地の鉄道が運行する「乗車そのものを楽しむ」列車のルーツは大井川鐵道にもある。

 乗車を楽しむ列車は、それ自体が「コンテンツ」となる。石炭をくべて蒸気を作り、複雑な機構を動かして走るSLは、郷愁のみならず力強さやメカニカルな魅力で時代を超えたコンテンツだが、大井川鐵道は2014年、「きかんしゃトーマス」の商品開発によって、SL列車を新しい「コンテンツ消費」の文脈に書き換えて成功した。

 一方で過疎化による乗客減、ツアーバス事故規制による収入減や東日本大震災、コロナ禍と数々の試練に見舞われ、そして2022年台風15号の被害で寸断された路線はいまだ復旧できない。大井川鐵道はいま苦悩の中にある。

 半世紀前から今に到るまで、大井川鐵道は「課題先進鉄道」だ。最も運輸収入を上げている鉄道であるJR東日本ですら人口減少社会を見越した「脱鉄道化」に取り組む中、大井川鐵道は「鉄道しかない」弱みを強みに変える歩みを続けてきた。全国の鉄道、そして過疎地域の課題と希望がここにある。本連載では、大井川鐵道の半世紀にわたる苦闘を、特にこの10年あまりにスポットを当てる。そして、新しい体制での大井川鐵道の課題を探りたい。

大井川にかかる橋を、機関車トーマスのSLが走っていく

 6月28日、金曜日の午後。ここは、大井川が屈曲しながら流れる中流域の、島田市北部・笹間渡(ささまど)地区。大井川鐵道「大井川第一橋梁」が架かる。発達した梅雨前線が北上し、静岡県地方は前夜からの強い雨が、昼にかけて線状降水帯をともない激しさを増していた。雨量の規制値を超えたため、大井川鐵道では10時半過ぎから列車を運休させていたが、雨が弱まり、安全確認の試運転列車が現在の終点である川根温泉笹間渡駅に到着。折り返し上りの営業再開初列車となって、13時59分、金谷駅に向けて鉄橋を渡っていった。

 14時23分、蒸気機関車の汽笛が聞こえた。来た!汽笛は数キロ先まで聞こえる。実際に鉄橋上に列車が現れたのは4分後。1時間9分遅れて始発の新金谷駅を発車した「きかんしゃトーマス号2便」。正面に白い顔、番号「1」をつけてライトブルーに塗られた機関車はまさしくトーマスだが、動輪まわりのメカニカルな動きは、絵本やテレビ番組よりも本物ならではの迫力だ。

 こんな荒天の平日にもかかわらず、トーマスに続く5両の客車の窓のそこここから手が振られている。列車は遅れはしたけれど安全に運行でき、子どもたちの笑顔をくもらせずに済んだ。

豪雨の大井川第一橋梁を渡る「きかんしゃトーマス号」 Photo by Fumihito Takase豪雨の大井川第一橋梁を渡る「きかんしゃトーマス号」 Photo by F.T.