海峡の岸壁に建つホテルに籠もった
高倉健の“小さな”息抜き相手は……

 津軽海峡でのロケ撮影は昭和55(1980)年夏と同56(1981)年冬に、それぞれ1カ月間行われた。

 その間、主演の高倉健、森繁久彌、三浦友和、吉永小百合は津軽海峡の岸壁に建つ青森県龍飛崎温泉「ホテル竜飛(たつぴ)」に滞在した。

 現在「ホテル竜飛」の社長を務める杣谷(そまや)徹也さんは当時5歳。高倉健に遊んでもらったことを鮮明に覚えている。

 杣谷さんが語るエピソードの高倉健は、一般的な「無骨で不器用」というイメージとかけ離れていて、驚かされる。

「午後4時か5時くらい、撮影が終わり帰ってくると、『テツ~、テツ~』と私を呼び寄せて、『何して遊ぶ?』と、いつも鬼ごっこやかくれんぼをしてくれました。撮影がない時には、健さんのお弟子さんも一緒に1時間とか2時間とか、ずっと遊んでいました」

 当時の「ホテル竜飛」は現在とは違い、木造2階建て。家族で暮らす1階のお茶の間を真ん中に、フロント、ロビー、宴会場、調理場が囲んでいた。そのお茶の間を中心とした、館内を1周できるルートが、高倉健との遊び場だった。

 杣谷さんは高倉健からさらなる厚遇を受けていた。

「マネージャーが自室に戻るのを見計らい、『僕の部屋においで』と私を呼ぶんです。私は両親から、『決してお客様のお部屋には入ってはいけない』ときつく言われていたので、『ダメダメ』と断ったのですが……、健さんが笑顔で『1回だけだよ』と、甘えるような目をするんです」

 親に怒られるのを覚悟で杣谷さんが高倉健の部屋に入ると、段ボール箱が積み重ねてあった。

「中身はファンからのチョコのプレゼントでした。健さんが『テツ、持ってけよ~』って言うので、ひとつもらったら、『もっといいぞ~』と、抱えきれないほどのチョコを持たされました。『みんなに食べさせろ』と言うのです」

 杣谷さんがお茶の間に持ち帰ると、「家族は『バレンタインのチョコだ~』って、みんな大喜び。じいさんばあさんにも食べさせました」。