当時の「ホテル竜飛」はバスとトイレ付きの部屋は6つしかなかった。
「バスとトイレ付きで一番広い部屋は森繁さんへというのが健さんからの指示でしたが、森繁さんは『君が主役なんだから、君が格上でいいんだよ』と言われていました」
ホテルのスナックではこんな一幕も。
「森繁さんが、『君はこれで有名になったんだから、歌えよ~』と、健さんに『網走番外地』をリクエストすると、健さんは素直に応え、歌っていました」
撮影中の食事は、他の俳優とスタッフは大広間で、森繁久彌と高倉健と吉永小百合は個室で摂るのだが、高倉健はよく「今日は吉永さんを招待する」と言って、親交を深めていた。
「確か、三浦友和さんが結婚1周年の時も、健さんはお祝いしていました」と茂子さんは懐かしそうに語る。
当時、茂子さんは20代で、高倉健は50代にさしかかる頃だった。年下の女将に親しみを込めて「ママ~」と呼び、よく部屋にも招いていた。
「『今日は、転ぶシーンがあったんだけど、背中に石が当たって痛かった』とか『今日は、雪が足りなくて、塩をまいたらしいよ』と、その日の出来事をフランクに話してくれました。
しばしばおっしゃっていたのは、『俺はね、無口なんかじゃないよ。北国が似合うなんて言われているけど、九州の生まれだからね、俺』なんてね、ざっくばらんで楽しい方でした」
ネオンがあるわけでもない本州突端の地では、女将との語らいが気分転換になり、明日への活力になっていたのだろう。
人一倍に気を付けていた健康管理
撮休の楽しみは大浴場での一番風呂
女将の茂子さんは高倉健が体調管理をする姿も見ていた。
「毎日、どんなに風が強くても必ず1時間ジョギングしていました。時間が空けば、すぐにジョギング。私は『そんなに走ると、逆に老化しますよ』なんて冗談を言ったこともあります」
食ではとにかく肉を好んだ。