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オリンピックといえばとかく「メダルの数」「国威高揚」となりがちだった中国で、近年、国民とスポーツの接し方に変化が起きている。「スポーツは勝負だけど、それだけじゃないよね」という見方をする人が増えてきたのだ。さらには日本でいう「推し活」的に選手を応援する、熱狂的なファンも増えつつある。こうした変化によって、アスリートたちは従来とはまた違うことに悩まされるようになった。ファンの“愛情”は時に暴走することがあるからだ。(フリーランスライター ふるまいよしこ)

中国で「メダルの数」が以前ほど話題にならなくなった

 パリ五輪が終わった。もちろん、28日からはパラリンピックが始まったが。

 五輪と言えばいつも「金メダルの数」にばかり注目が集まる中国で、今年の期間中に流れたコメントや起こった「騒ぎ」は、意外にもこれまでとはひと味違うものだった。もちろん、政府系あるいは大衆系メディアの報道は「金メダルの数」にこだわり続けた。中国の金メダルは最終的に40個とアメリカに並んだが、「台湾と香港を足せば、金メダル数はアメリカを抜いた!」という発言も飛び出した。

 だが、総メダル数ではアメリカに及ばない。以前もそのことが話題になり、それが議論を呼んだ。たしかその際は、中国では「スポーツ普及率が低いからだ」という意見で落ち着いた。つまり、一般庶民の生活にはスポーツが浸透しておらず、アスリートたちは日常のスポーツ活動の成績で抜擢されたわけではなく、特殊な手段で小さい頃から養成された「エリート」だからだという話だった。口の悪い人はそれを「金メダルマシーン」とまで言ってのけた。

 とにかく、数の上で西洋諸国を上回りたい、それでこそ国威発揚……そんな昔ながらの五輪評価は今も健在ではあるものの、かつては国の威信をかけて大騒ぎしていた五輪も、今や季節の話題程度に落ち着いた感がある。