価値観が多様化し、先行き不透明な「正解のない時代」には、試行錯誤しながら新しい事にチャレンジしていく姿勢や行動が求められる。そのために必要になのが、新しいものを生みだすためのアイデアだ。しかし、アイデアに対して苦手意識を持つビジネスパーソンは多い。ブランドコンサルティングファーム株式会社Que取締役で、コピーライター/クリエイティブディレクターとして受賞歴多数の仁藤安久氏の最新刊言葉でアイデアをつくる。 問題解決スキルがアップ思考と技術』は、個人&チームの両面からアイデア力を高める方法を紹介している点が、類書にはない魅力となっている。本連載では、同書から一部を抜粋して、ビジネスの現場で役立つアイデアの技術について、基本のキからわかりやすく解説していく。ぜひ、最後までお付き合いください。

アイデア出しの「複眼思考」が鍛えられるトレーニングとはPhoto: Adobe Stock

どうでもいい出来事を、
99通りの書き方で描く

 今回は、本の紹介をしたいと思います。この本は、私にとって大事な一冊。最も影響を受けた本を一冊挙げるとしたら、この本を挙げるのでは、というくらいのレベルのものです。

 レーモン・クノーというフランスの作家の『文体練習』というものです。レーモン・クノーといえば映画化もされている『地下鉄のザジ』のほうが有名かもしれません。

 この『文体練習』ですが、あらすじは、とてもシンプルなものです。

 主人公がバスに乗っているとき、首が長く奇妙な帽子をかぶったひとりの男が別の乗客と口論しているのを目撃する。そしてその2時間後にある広場でまた同じ男が、「オーバーコートにもうひとつボタンをつけるべきだ」と服装のアドバイスを受けているところに出くわす、という、どうでもいい出来事がストーリーとして描かれています。

 しかし、この本は『文体練習』というタイトルのようにこのどうでもいい出来事を、なんと99通りの書き方で描いているのです。

 第2番では、わざとくどくどと書く。第3番ではたった4行にする。第4番では隠喩だけで書く。第5番では出来事の順番を逆にして倒叙法で書く、というように、次々に文体を変えてみせていくのです。こうして99番では、5人がカフェで雑談をしていると、そのうちのひとりが「そういえばさっきバスの中でね」という具合に、会話の中にさりげなく例の出来事が入ってくるというふうになり、さらに付録として俳諧の一句のようなものが提示され、それで文体練習全体が終わるというふうになっています。「バスに首さわぎてのちのボタンかな」。

 この本に対して、松岡正剛さんは「千夜千冊」の中で「編集稽古の原典である。編集工学のためのエクササイズのバイブルである」と絶賛されています。

 私は、この本は、アイデア発想において大切な「複眼思考」を鍛える筋トレになるものだと思っています。

 複眼思考とは、ひとつの視点にとらわれないで、複数の視点から物事を見つめること。多面的な思考や、多角的な思考とも言い換えることができます。多面的に視点を自由に動かしながら考えることこそが、たくさんのアイデアを出すための大切なポイントです。

 ということで、私は、この本を読むだけではなく、その「続きを書く」ことで、アイデア発想の筋トレを行っています。つまり、文体練習の100番目から自分がさらに新しい文体で書いていくのです。

アイデアに携わる人、必読の本

 どのようなものを書いているのか。ご紹介させていただきます。その前にまず、原文をご紹介しましょう。

【原文】
 S系統のバスのなか、混雑する時間。ソフト帽をかぶった二十六歳ぐらいの男、帽子にはリボンの代わりに編んだ紐を巻いている。首は引き伸ばされたようにひょろ長い。客が乗り降りする。その男は隣に立っている乗客に腹を立てる。誰かが横を通るたびに乱暴に押してくる、と言って咎める。辛辣な声を出そうとしているが、めそめそした口調。席があいたのを見て、あわてて座りに行く。

 二時間後、サン=ラザール駅前のローマ広場で、その男をまた見かける。連れの男が彼に、「きみのコートには、もうひとつボタンをつけたほうがいいな」と言っている。ボタンを付けるべき場所(襟のあいた部分)を教え、その理由を説明する。

――『文体練習』レーモン・クノー(著)、朝比奈 弘治(翻訳)より

 こちらをベースにしながら、いろいろな文体や視点で書いていきます。それでは、少し恥ずかしいですが、私が行ってみた文体練習を公開します。サラッと読み飛ばしてみてください。

文体練習のつづき①‥ぐちっぽい運転士
 木曜日は、嫌いだ。S系統が担当だからだ。S系統は、とりわけ混雑が激しい。道はもちろん、車内も。混雑したバスは、嫌いだ。アクセルを踏んでも、老人が腰をあげるようにしか発車できない。「よっこらしょ」そんな感じだ。「よっこらしょ、よっこらしょ」、どうしても急発進になる。混雑した車内の人たちは、前後に揺れる。たぶん、乗り心地は最低だろう。停留所Tから停留所Uまでの間だったから午前11時13分ごろだったと思われる。若い男が、急に怒りだした。乗り合わせた乗客に、文句をつけている。その声は、ひどく弱々しいものだったので、大事にはならないだろう、と思えたが私の心中はおだやかではなかった。こういう揉め事は、最終的に運転が荒いからだろう、と私にとばっちりがくることが多いのだ。私は、その若い乗客が降りるまで、できるだけ慎重に運転をした。そして、耳は後ろの乗客の方に集中しながら。Z駅でその男は降りた。終点だ。降りる様子を見ると、首がひょろながい、風変わりなソフト帽をかぶっていた。

 なんだか私は、ほとほと疲れてしまい、午後のシフトを交代してもらい家に帰って休むことにした。

文体練習のつづき②‥つり革の視点から
 引っ張られるのには、もう慣れている。体重をかけられるのも、乱暴されるのにも、もう慣れた。毎日、同じ繰り返しだ。変化のない日々、それが俺の全てだと思っていた。そんな俺にも、感情はある。まぁ、本当のことを言えばないのだけれど、俺の中ではあると思っている。嫌いな人もいるし、好きな人もいる。仲間とは、いつも同じ距離をとって、離れているため、人間のほうが親近感がある。だから、俺には感情があるのだ。

 混雑する時間だった。俺に、嫌いなタイプの男が手を掛けていた。掛けているといっても、小指一本で絡ませる程度、バスが揺れるたびに、指が外れる。ぎゅっとつかまれるのはいいけれど、そういうのは嫌いだ。俺の存在意義に関わる。隣には、ソフト帽を被ったキレイに首が生えた男がいた。彼は、きゅっと仲間のつり革を握っていた。彼が、俺のところに来てくれればいいのに、とずっと思っていた。また、バスが揺れた。そして、また俺の男の小指が外れる。男の体が揺れて、ソフト帽の彼の体を押す。不快だろう、と思っていたところ案の定、ソフト帽がキレた。仕方ない、俺だって同じ状況だったらキレる。だから、気の毒に思ったよ。弱々しい、怒り慣れていないだろうめそめそした口調が、より哀れみを増していた。ソフト帽は、席があくとそそくさとそこに座った。それ以来、彼をみていない。いまだに、キレイに三つ編みにされた彼のソフト帽の紐を思い出すのだ。彼は、元気にしているだろうか。

 さて、いかがでしたでしょうか。

 自分も書いてみたいと思っていただけたら嬉しいです。

 私の書いた文体練習のクオリティは置いておいて、アイデアを出していく上でも、編集をする人にとっても必読の本だと思います。

 現在、2つのバージョンの翻訳が出ていますがどちらも素晴らしい内容です。

 私は、どちらかといえば前から出ている朝比奈さんのものが好きです。翻訳もひとつの文体練習だと思うと、読み比べてみるのもいいかもしれませんね。

(※本稿は『言葉でアイデアをつくる。 問題解決スキルがアップ思考と技術』の一部を抜粋・編集したものです)

仁藤安久(にとう・やすひさ)
株式会社Que 取締役
クリエイティブディレクター/コピーライター
1979年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。
2004年電通入社。コピーライターおよびコミュニケーション・デザイナーとして、日本サッカー協会、日本オリンピック委員会、三越伊勢丹、森ビルなどを担当。
2012~13年電通サマーインターン講師、2014~16年電通サマーインターン座長。新卒採用戦略にも携わりクリエイティブ教育やアイデア教育など教育メソッド開発を行う。
2017年に電通を退社し、ブランドコンサルティングファームである株式会社Que設立に参画。広告やブランドコンサルティングに加えて、スタートアップ企業のサポート、施設・新商品開発、まちづくり、人事・教育への広告クリエイティブの応用を実践している。
2018年から東京理科大学オープンカレッジ「アイデアを生み出すための技術」講師を担当。主な仕事として、マザーハウス、日本コカ・コーラの檸檬堂、ノーリツ、鶴屋百貨店、QUESTROなど。
受賞歴はカンヌライオンズ 金賞、ロンドン国際広告賞 金賞、アドフェスト 金賞、キッズデザイン賞、文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品など。2024年3月に初の著書『言葉でアイデアをつくる。 問題解決スキルがアップ思考と技術』を刊行する。