邦訳書と同時期に出た小説
『無益の手数を省く秘訣』

 テイラー『科学的管理法』(The Principles Of Scientific Management)の邦訳書は1913年に初めて出版され、今日まで断続的に出版各社から出ています。ダイヤモンド社版の本書はもっとも新しい翻訳書の一つです。

 初の邦訳書は1913年に出ていると書きましたが、概要が紹介されたのはその2年前でした。テイラーによる原著出版は1911年初頭ですが、なんと3月には日本で紹介されています。これは安成貞雄(1885-1929)による「科学的操業管理法を案出」という論文で、「実業之世界」1913年3月15日号に掲載されています。

 また、同じ1911年には池田藤四郎(1872-1929)が「東京魁新聞」に「無益の手数を省く秘訣」を連載し、「科学的管理法」を紹介しています。連載はまとめられ、1913年に出版されました。原著邦訳書の出版と同時期だったようです。『無益の手数を省く秘訣』は創業2年目のダイヤモンド社から1914年10月に「代理販売」されています。これはダイヤモンド社の記録にありました。

 池田藤四郎はダイヤモンド社の名づけ親です。ダイヤモンド社の歴史は石山賢吉(1882-1964)が1913(大正2)年5月に「経済雑誌ダイヤモンド」を創刊して始まります。池田が石山に「小さくとも光るダイヤモンドという名称がいい」と言ったのだそうです。石山は「それはいい」と、雑誌名と社名を「ダイヤモンド」にしました。

 創刊の前年まで、池田と石山は同じ会社に続けて勤務していました。実業之世界社と日本新聞社です。安成貞雄も実業之世界社に勤務したことがあり、3人は同じ雑誌を編集していた同人でした。

 池田と安成は語学の達人として知られ、欧米の書物を入手して知識を涵養していました。『科学的管理法』も二人同時に入手し、すぐに紹介する価値があると踏んだのでしょう。あるいは、テイラーが学術雑誌に書いていた論文をすでに読んでいたのかもしれません。

 安成貞雄は社会主義者として知られ、文学から社会科学まで幅の広い論説記事を創刊後の「ダイヤモンド」にも時おり書いていました。一方、池田藤四郎は「ダイヤモンド」へほぼ毎号寄稿し、マネジメントの普及と紹介に集中しています。

『無益な手数を省く秘訣』の本文。現物を見ることはできず、複製されたものを図書館から借りて来ました。
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 池田藤四郎の『無益の手数を省く秘訣』は1914年にダイヤモンド社が「代理販売」すると、翌年には実業之世界社から発売されています。さらにその後も数社から順次発売され、10年以上にわたって累計で150万部から200万部売れたといわれています。たいへんなベストセラーです。どうして出版社を変えていったのかはわかりません。彼の最後の著作(1930年)もダイヤモンド社から出ているので、亡くなる直前まで石山賢吉と親しかったことは間違いありません。

 原著の邦訳書がそれほど売れたという記録はないので、『無益の手数を省く秘訣』のほうが読者になじみやすかったのでしょう。どうしてでしょうか。

『無益の手数を省く秘訣』は「14歳の太郎君」が工員になるところから始まる小説だったのです。