いいときの僕が投げる球は
バッターの僕は打てない
石田雄太 著
――自分のスタイルをあえて崩して投げることがあるんですか。
「そうですね……こちらでは相手チームによっては試合ごとにアプローチを変えていかないとやられてしまいます。
デトロイトではそういうことを考えず、自分のスタイルを貫いて最後までゼロに抑えることができましたから、満足度は高かったですね」
――これまでに3度、今と同じ質問をしました。最初はファイターズで日本一になったとき、2度目はメジャー1年目を終えたとき、いずれも大谷さんはピッチャーが勝つという答えでした。そして3年前には、五分五分とイメージしたのに、今回はまたピッチャーが勝つんですね。
「あの試合は1試合目にいい流れがあって、その流れの中で打てた感じでしたからね。完封した1試合目ありきの2試合目でのホームランだったと考えれば、あの日のバッティングはそんなによかったイメージはないんですよ。流れが自分にあっただけなので、1試合目がなければ打てていなかったと思います。
そもそもピッチャーとしての僕がいいときに当たってしまったら、バッターの僕は打てないんですよ。まっすぐでもスライダーでもスプリットでも、どの球種でも三振の確率は高そうじゃないですか。バッターってそういうもので、ピッチャーがいいときにはもう『ごめんなさい』するしかなくなるんですよね(笑)」
1994年7月5日、岩手県生まれ。花巻東高校時代に通算56本塁打と球速160kmをマークした。2013年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。2年目に日本プロ野球史上初の「2桁勝利、2桁本塁打」(11勝10本塁打)を達成。3年目の2015年には最優秀防御率、最多勝、最高勝率の投手3冠に輝く。2016年には日本プロ野球史上初の「2桁勝利、100安打、20本塁打」で投打の主力としてリーグ優勝と日本一に貢献、リーグMVPに選出された。5年間の日本プロ野球を経て、2017年12月8日にロサンゼルス・エンゼルスとの契約に合意し、MLBに移籍した。メジャー1年目から投打二刀流でプレー。MLB史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成し、ア・リーグ新人王に輝いた。シーズン中に右肘靭帯を損傷したため、シーズンオフにトミー・ジョン手術を行った。2年目は5月にリハビリから復帰するものの、9月にふたたび手術で欠場。3年目の2020年はCOVID-19の影響でシーズン開幕が遅れ、さらに故障もあり、出場試合は限られた。2021年、初めて投打二刀流で怪我なくシーズンをプレーし、ア・リーグMVPに満票で選出された。2022年、1918年のベーブ・ルース以来史上2人目となる同一シーズン「2桁勝利、2桁本塁打」を達成、さらにMLB史上初となる投打ダブルでの規定到達も成し遂げた。2023年、日本代表として第5回WBCに参加し、投打で主力として日本の優勝に大きく貢献し、MVPに。さらにレギュラーシーズンでは日本人初となる本塁打王を獲得し、2021年に続き、ア・リーグMVPに満票で選出された。2度の満票選出はMLB史上初。2023年12月9日にロサンゼルス・ドジャースへの移籍を発表。契約金は北米4大プロスポーツ史上最高となる10年総額7億ドル(約1015億円)。