どういう訳か、国松は千種に特につらく当たった。膝を痛めても休ませてもらえず、30分フルタイムを歯を食いしばって耐え続け、なんとか引き分けた試合もあった。やりにくい相手とばかり続けて試合を組まれたこともあった。

書影『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(光文社未来ライブラリー)『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(光文社未来ライブラリー)
柳澤健 著

 先輩や同期、さらにフロントからもつらく当たられたストレスのためだろう、全身に湿疹が出た。「汚い」「ライトに照らされると目立つからリングに立つな」と試合に出してもらえなくなった。薬を塗って介抱してくれたのは、先輩のデビル雅美だけだった。

 右膝を亜脱臼してチケットのもぎりや売店に回された時には「売上金が足りない、誰かが盗んだんじゃないのか」と大騒ぎになったことがあった。

 仲間はずれの千種は真っ先に疑われた。バッグの中を調べられ、指紋まで採られた時には、怒りを通り越して情けなくなった。

 まもなく復帰した千種は後輩の山崎五紀に勝ち、全日本ジュニア王者となったものの、さほどうれしくはなかった。同期の中では一周遅れの最終ランナーであることは、誰の目にも明らかだったからだ。