あらゆるマイナスの感情をぶつけあう炎の中で、全女の選手たちは精神的にも、肉体的にも鍛え上げられていく。

 1986年にジャパン女子が旗揚げするまで、女子プロレス団体はただひとつ全日本女子プロレスしかなかった。全女を去ることは、そのままプロレスラー引退を意味する。

 ジャンボ堀は新人の頃、足首を粉砕骨折する重傷を負い、「痛いから病院に行かせて下さい」とコーチに必死に頼んだが「サボるんじゃないよ」と縄跳びをさせられた。

 ライオネス飛鳥もまた、アバラ骨を骨折したことがあったが、自転車のタイヤのチューブを開いて幾重にも巻きつけて、何でもないフリをした。試合に出してもらえなくなるからだ。「無理したら一生歩けなくなりますよ」と医者に1カ月の絶対安静を言い渡された時にも1週間で戻った。

同期の中では周回遅れ
苦労人・長与千種

 全女とは「狂犬を作るためのシステム」(長与千種)なのである。

 だが一方では、大勢の同期の中から自分ひとりが抜擢されたことは、若い選手にとって大きな誇りでもある。態度には出さずとも、残された同期との間には徐々に溝ができてくる。