「自民党政調会長や幹事長、地方創生大臣、重責ある職に就いていた折でした。田勢さんとの話もおもしろかったが、ネコがいるのが楽しかったですからね。まーごはわんぱくでしたが、にゃーにゃはメスでしょう。子ネコ時代はおきゃんで、回を重ねるごとに妖艶になっていく印象でしたなあ」(石破氏)
まーごからにゃーにゃに出演ネコが代替わりしたのは、まーごが心不全で急逝したからだ。14年10月のことだった。
「大阪に出張していた日でした。深夜、テレビ東京の担当者から電話が入ったんです。ひと月前に共演して元気な姿を見たばかりでしたから、あまりに急だと衝撃を受けたんです」(同)
13回も共演した相手だ。自然と弔電を送る気持ちになった。ネコに弔電を打つのは、人生ではじめてだった。
ネコに弔電打った
石破さんは、哀悼の意をこう表現している。
「尊敬するまーご様 まーごさんのご他界の報に接し、数多く共演させて頂いた者の一人として心より哀悼の誠を捧げます。政治ネコとしての存在には圧倒的なものがありました……」
ネコに好かれるという、自覚はあるのだろうか?
「ネコとは生来人なつこいものでしょう。子どもの頃からそんな印象です。でも、私はネコと暮らしたことはないんです。親が飼わせてくれませんでした。飼いたいと訴えたことは、何度もあります」(同)
鳥取県で生まれ育った。昭和30年代後半から40年代にかけて、石破少年の生活圏内にネコは「ゴロゴロ」いた。空き地に行けばネコがたむろし、海に行けばネコだらけの島もあった。
「学校帰りに子ネコを拾って連れてきては、『捨ててきなさい!』と叱られていました。2回や3回じゃなかったですね」(同)
子ども部屋の押し入れにネコをこっそりかくまったこともあれば、街中のゴミ箱に隠れるネコを連れ帰ろうとして顔を引っかかれたこともある。
大人になって、いっときだけ、飼ったことはあった。15、6年前、防衛庁長官時代のことだ。