吉村昭の魅力の1つは意外性にあると思うのだが、たとえば『戦艦武蔵』などの記録文学の大作を書く一方で、食と酒について滋味深い随筆を手がける。感情を押し殺した小説の文章に対して、随筆では「人情」という言葉をしばしば使っている。

新宿のいきつけのバーで
息子を見せびらかした吉村昭

 私生活でも、印象を裏切るような意外な一面を次々と見せてくれる。

 第一に、吉村は実に子煩悩な父親だった。

 吉村が行きつけだった吉祥寺の「みんみん」で、名物の餃子を口にしながら司が回想する。

「小学校にあがる前の幼稚園の頃から、新宿のバーによく連れて行かれました。母が編んだ毛糸のベレー帽をかぶって。かわいい、かわいいって、店の女性にめちゃくちゃもてました。大人になってから父と行った回数より、子供の頃に連れて行かれたほうが多いと思います。子供を人に見せるのが好きだったのか、自慢したかったのか……」