「犬のようにしつけなければ駄犬になる」作家・吉村昭の衝撃の子育て論!写真はイメージです Photo:PIXTA

数々の名作を世に送り出した作家夫婦の吉村昭と津村節子。吉村は、自身が父親から厳しいしつけを受けたように、息子と娘に対して過激な体罰も辞さなかった。そのように厳格でありながら、子煩悩な一面も持っていた彼の心の葛藤を探る。※本稿は、谷口桂子『吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。

小説以外は雑事だった吉村昭の
子育ては妻任せだったのか?

 吉村昭と津村節子は、結婚2年後の1955年(昭和30年)に長男の司、その5年後に長女の千夏を授かった。

 子育てについて、吉村は次のように書いている。

〈子供がうまく育つかどうかは母親次第、というのが私の持論である。幼児の折から母親がしつければ、立派な人間として成人する。〉(『わたしの流儀』新潮文庫)

 子育てに父親は必要ではないとも受け取れる。そう述べる吉村のことを、

〈仕事以外は念頭にない男〉(『風花の街から』毎日新聞社)

 と津村は言い、吉村自身も、

〈時間のすべてを小説執筆のために費やしたい私は……〉(『縁起のいい客』文春文庫)

 と記している。ゴルフなどの運動はもちろん、講演も雑事とみなし、義理がある場合を除いて引き受けることはなかった。観劇の招待券が送られてきても興味を示さず、年を経てからは冠婚葬祭もなるべく辞退するようになった。

 その持論や流儀から、子供のことは妻任せだったのではないかという印象がある。小説の執筆を最優先する吉村にとって、子供にかかわることも雑事だったのではないか。

 実は、そうではなかった。