数々の名作を世に送り出した作家夫婦の吉村昭と津村節子。吉村は、自身が父親から厳しいしつけを受けたように、息子と娘に対して過激な体罰も辞さなかった。そのように厳格でありながら、子煩悩な一面も持っていた彼の心の葛藤を探る。※本稿は、谷口桂子『吉村昭と津村節子 波瀾万丈おしどり夫婦』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
小説以外は雑事だった吉村昭の
子育ては妻任せだったのか?
吉村昭と津村節子は、結婚2年後の1955年(昭和30年)に長男の司、その5年後に長女の千夏を授かった。
子育てについて、吉村は次のように書いている。
子育てに父親は必要ではないとも受け取れる。そう述べる吉村のことを、
と津村は言い、吉村自身も、
と記している。ゴルフなどの運動はもちろん、講演も雑事とみなし、義理がある場合を除いて引き受けることはなかった。観劇の招待券が送られてきても興味を示さず、年を経てからは冠婚葬祭もなるべく辞退するようになった。
その持論や流儀から、子供のことは妻任せだったのではないかという印象がある。小説の執筆を最優先する吉村にとって、子供にかかわることも雑事だったのではないか。
実は、そうではなかった。