今、振り返ると、母も母で、周囲に親しい友人もいない上、家では不登校児と向き合わなければならず、追い込まれていたのだろうと推察できる。
引っ越し後の千葉県での新たな環境にうまく適応できていなかったのは、母も私も同じだったのだ。
難波ふみ 著
しかし、あまりに唐突すぎるそのときの行動が、幼い私には芝居がかって見えて仕方がなかった。「うわー、マジかよ……」が本音だった。
人間は窮地に追い込まれると、地が現れるというが、私の地というのは案外、冷たくて図太いのだなと、のちのち実感したものだ。
その後、母はプツンと糸が切れたように部屋の中央で眠りだした。
その息を何度か手のひらで確認したのを覚えている。
それから、その頃、何度も「産まなきゃよかった」と言われたことも忘れられない。子どもに言ってはいけない言葉ランキングがあるとすれば、上位に食い込むこと確実な“アレ”である。おかげで自己肯定感ゼロの問題児が仕上がったわけだが、たぶん言った本人はそのことすら忘れているだろう。