これから親になろうとする人と、教師を志す人には、子どもにそんな感情を教えないであげてほしい。

 さて、曖昧な記憶といっても、言われてイヤだった言葉というのも、心に深く刺さっているものだ。たとえば、「世界には学校に行きたくても行けない子どもがたくさんいるのに、行かないなんて贅沢だ」とか……。

 いや、そんなこと知ってるしわかってるし、そもそも話の土台ちがくない?私の感情とかどうでもいいんだ?などとモヤモヤ思ったものだが、当時はそれすら言える勇気も元気も持ち合わせていなかった。

 あとからわかったことだが、このときは貧血気味にもなっていた。そのため、朝はなかなか起きられずに、ムスッとした蒼白い顔。夜は、爆発しそうな感情を圧し殺していた。

 そんな“ユウウツ”な私は、さぞ不気味な子どもであっただろうと思う。

 強烈に覚えていることがふたつある。

 季節は半袖の頃だった。

 その日も学校には行かず、怒った母と激しいバトルを繰り広げ、暴れ回っていた。感情にまかせて新聞紙を散々に引き裂いたり、手近にある物をなんでも母に向かって投げるなど……、必死の抵抗を試みていた。

 そう、絶望し、疲弊しきっていた私は、手のつけられない問題児と化していたのだ。