しかし、翌1989年は最終的に西武は3位に陥落。優勝が目前だった10月10日からの近鉄戦はラルフ・ブライアントに3打席連続本塁打を浴びるなど3連敗。これでペナントの行方は決した。
「選手は、みんな優勝慣れしているというか、シラーッとしてるんですね。あの近鉄3連戦は誰も燃えてなかったように見えました」
この年のオフには、ある騒動が起きる。森がシーズン終了報告に行ったところ、オーナーの堤義明は「(監督を)やりたいなら、おやりになればいいんじゃないですか。どうぞ」と発言。これが物議をかもした。
「森さんと森さんの奥さんは、すごい怒ってたんだけどね。でも、我々コーチ陣は生活がかかっていたから森さんに続けてほしい。僕は『森さん、好きにすればいいと言われたんだから契約すればいいじゃないですか』って言ってね。結果的に、森さんは契約するんだけど、みんなが契約し終わった後にした。そこで、我々コーチの給料を上げてくれと交渉したんです。そこから給料が上がり、みなやる気を出したんですわ」
このときから広野らコーチの年俸は3000万円に上がった。選手たちはともかく、意気に感じたコーチたちの士気は爆上りしたのである。