純真な清原への独特な指導法と
優勝慣れしていたチームの熱のなさ

 他にも、広野はその日の相手投手の「狙い球」「絞るコース」を打順の2回り目までに確定させ、円陣で選手に指示を出していたという。正確性を求め、ベンチの壁にコピー用紙を掲示し、打席が終わった選手に配球を書き込んでもらっていた。具体的な道筋を描いて見せたうえで、選手個々の特性にあわせて広野は接し方を考える。西武球団の宝である清原は、ことさらナイーブだった。

「清原は、自分を褒めてくれる人にはものすごく寄っていく性格で、厳しいことを言う人からは距離を取る。また、話し言葉に関しても繊細なところがあって『君、ダメ』みたいに標準語でキツくコーチに言われると拒絶してしまうきらいがあるんです。だから、僕は『今日のバッティングええやないか』と関西弁っぽい徳島訛りで褒めながら話す。彼は純真なんですよ」

 このように広野は清原との関係を深め、指導を行った。そのおかげか清原の西武3年目は31本塁打を記録し、打率も2割8分6厘まで上昇。チーム打率も2割7分とリーグ1位。西武はリーグ4連覇を達成し、日本一にも輝いた。

西武打撃コーチ時代の広野と清原和博西武打撃コーチ時代の広野と清原和博(右) 写真提供:広野功