経営者や起業を志す人だけでなく、すべてのビジネスパーソンが「ファイナンス思考」を身につけられたら、未来を生き抜く武器になる。成長するビジネスが日本にも必ず生まれる。そんなメッセージが支持され、ベストセラーになったのが、『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』(朝倉祐介著)だ。日本のビジネスに足りない、長期思考・戦略的・自律型の思考とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

ファイナンス思考Photo: Adobe Stock

大胆な意思決定とそれを実現する財務戦略を可能にしたもの

 なぜ、日本からマグニフィセント・セブンのような巨大ベンチャーは生まれなかったのか。なぜ、日本人は懸命に頑張っているのに、日本経済は低迷してしまっているのか。なぜ、新しいものが日本からは生まれにくいのか。

 まさに、これこそがその要因ではないか、と目から鱗のキーワードが展開されていくのが、本書だ。

 著者の朝倉氏は、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、のちにミクシィ社長に就任、業績を回復させた実績を持つ。

 現在は「未来世代のための社会変革」をテーマに、シード・アーリーステージへの投資を行うアニマルスピリッツを設立、代表パートナーを務めている。

 そんな朝倉氏が日本企業を蝕む病ではないかと指摘するのが、売上高や利益といった損益計算書(PL)上の指標を、目先で最大化することを目的視する、短絡的な思考態度「PL脳」である。

 高度成長期には一定の合理性を持っていた「PL脳」だったが、変化の激しい時代にはそぐわなくなった。その呪縛を解き、価値志向、長期志向、未来志向で、将来に稼ぐと期待できるお金を最大化しようとする発想が「ファイナンス思考」だ。

 一見、「会計に関する難しい知識が求められるのでは」と想像してしまうが、そうではない。実際、ファイナンスに縁のなかった一般のビジネスパーソンにも理解できる内容になっている。そして、そうしたビジネスパーソンこそ、「ファイナンス思考」を持つべきだと朝倉氏は説く。

「ファイナンス思考」とは何か、わかりやすいのが以下の記述だ。

急成長するアメリカのIT企業の成功が語られる際、多くのケースでは、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグ氏といった創業者のカリスマ的な人物像や、彼らが展開するサービスの秀逸さといった側面に焦点が当てられます。
しかし、こうした会社の成功の裏には、成長に向けた大胆な意思決定とそれを実現する財務戦略という、ファイナンス思考に裏打ちされた活動があったことを、ビジネスパーソンである我々は見逃してはなりません。(P.18-19)

 ビッグ・テックは、短期的には売上高や利益などPL上の数値にネガティブな影響が出る意思決定し、将来の成長に向け、果敢に大きな投資をしていたのである。

目先の収益悪化を恐れなかったアマゾン、フェイスブック

 具体的な例として、アマゾンとフェイスブック(現メタ)についての記述がある。アマゾンが創業以来、赤字を計上しながらビジネスを拡大し続けたことは有名な話だ。

アマゾンの場合、大規模な先行投資を行うことによって、潜在的な競合に対する参入障壁を築き、長期的な競争力の向上や、継続的な収益(リカーリング・レベニュー)を実現するビジネスモデルを構築しようとするのが特徴です。(P.20)

 EC事業だけでなく、クラウドコンピューティングサービスであるAWS(アマゾンウェブサービス)では、競合が参入するのを躊躇うレベルの低価格で展開、一気に市場シェアを高めていった。

 アマゾンはPL上は赤字であるにもかかわらず、積極果敢に投資を行い、先行投資型の戦略で急激な成長を手にしたのだ。

フェイスブックもまた、将来の成長領域に向けた果敢な投資や、長期的視点に立った事業開発といったファイナンス思考をもつ会社の代表です。一般消費者向けのインターネット・サービスということもあって、どうしても「サービスとしてのフェイスブック」の利用体験や流行り廃りに目が向いてしまいがちではありますが、「会社としてのフェイスブック」がどのような思想のもとで事業を展開しているのかにも、注意を向けるべきでしょう。(P.21)

 例えば、かつてフェイスブックは、ゲーム関連の投稿で埋め尽くされていた時代があった。ところが、「世界をオープンにし、つなげる」という当時のミッションを実現しにくい状況だ、とゲーム関連の投稿をあえて見にくくしたのだという。

 これはフェイスブックにとって、目先の収益を悪化させる試みだった。しかし、業績に悪影響を及ぼしたとしても、健全にコミュニティを発展させるための取り組みを選択したのだ。

 ファイナンス思考の観点からビッグ・テックの共通点を整理すると、次の3点になると朝倉氏は記す。

・短期的なPLの毀損を厭わない
・市場の拡大や競争優位性の確保を重視し、極めて大規模な投資を行う
・投資の目線が長期的で未来志向である(P.24)

 一方で、この真逆をやってきたのが、多くの日本企業だったのではないだろうか。

日本企業が思い切った手を打てなかった理由

 四半期、あるいは1年という期間で会社がどれだけのお金を稼いだのかを示すPLの数字は、「誰にとっても直感的でわかりやすい」と朝倉氏は記す。

 同じ会社の前期の業績と比較して、売上高や利益の増減から会社の成長度合いを図ったり、同業他社の数値と照らし合わせて、その会社の稼ぐ力を比較したりするために、しばしばPLは活用される。

 しかし、PLの内容はあくまで、過去の一定期間における業績の「結果」に過ぎない。その数値を最大化しようという取り組みは、必ずしも会社の長期的な成長につながるわけではない。

 ところが、PL指標の最大化を優先する考え方が、日本の経済界には根深く浸透している。だから、多くの日本企業が思い切った手を打てず、縮小均衡の衰退サイクルに入ってしまったのではないか、というのである。

会社の意思決定の中には、会社の価値向上ではなく、実は、目の前のPLを最大化することを目的とした近視眼的な内容が紛れていることが珍しくありません。会社の長期的な成長のために必要であるにもかかわらず、目先の業績が悪化することを嫌い、積極的な投資に躊躇してしまうケースや、逆に企業価値には貢献しないのにPL上の業績数値を水増しする施策に走ってしまうといったケースが少なくないのです。(P.26)

「とにかく売上を上げよ。利益を減らすな」「目指さなければいけないのは増収増益だ」「今期は減益になりそうだから、マーケティング投資を減らそう」……。こうした経営からのメッセージは、まさに目先のPLを意識したものだということが、おわかりいただけるはずだ。それこそビッグ・テックは果たして、こんなメッセージを発信していたかどうか。

 しかも、厄介なのは、日本では経営者以外の人たちもPL脳に陥っていることだ。

経済誌をはじめとするメディアも、決算期にはしきりに四半期単位で「増収増益」、あるいは「減収減益」といった業績結果のみを見出しに掲げて会社について報じます。また、会社がステークホルダーに自社の取り組みを説明する際も(中略)、会社を巡る社内外におけるコミュニケーションの拠りどころがPLになっているという側面もあるのでしょう。(P.26)

 これには経済記事の書き手である私も大いに反省しなければいけないところだが、多くの人がこの感覚に思い当たるところがあるのではないだろうか。

 こうしたPL脳に陥らないために求められるのが、「ファイナンス思考」なのだ。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。