撮影開始も間近というとき、マーク・ファーガスとホーク・オストビーは、何年分ものブレストと、日の目を見なかったアイデアの山に目をとおし、そこから撮影に使える脚本を捻り出した。

「目をとおせるものにはすべて目をとおしました。最初の草稿から、書かれたものにはすべて。10年とか15年前に書かれたものも読みました。皆がどんなことを考えたのか、すべて知りたかったんです」とファーガスが言う。

 2人はたった12日で撮影稿を書き上げた。しかしファヴローは撮影稿を絶対視しなかった。ダウニーは即興の余地があると花開くタイプの役者だと気づいたからだ。ファヴローは、可能な限り臨機応変に撮影できるように段取った。

「改稿作業は、その後5ヵ月の間、現場でずっと続けられました。休む暇もなくです。最高でしたね」とマーカムは回想する。

撮影現場の楽屋で首脳陣が
4~5時間にわたって脚本談義

 しかしそれは、誰にでも「最高」なスタイルというわけではなかった。ダウニーにとっては最高。パルトローはやがて順応した。しかしジェフ・ブリッジスにとっては落ち着かない現場となった。