いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と絶賛する同書より、内容の一部を特別公開する。
今回は、1世紀の古代ギリシアで、元は奴隷だったにもかかわらず、研鑽を重ね、偉大な哲学教師となったエピクテトスの言葉を紹介しよう。
現代のネット社会では「承認欲求」に振り回されることが少なくないが、同じ問題は2000年前からあったようだ。賢人エピクテトスはこれについてどう考えていたのだろうか?
自分に喝采を送る
なぜなら、自分の力の及ばないものを求めていないかぎり、不安であり続ける理由がないからだ。
それこそが、キタラ奏者が一人で弾き語りをするときはいっさい不安を見せないが、舞台に上がると、たとえ素晴らしい美声とともにキタラを見事に演奏しても、不安な様子を見せる理由だ。
そうなるのは、上手に歌いたいだけでなく、拍手喝采をもらいたいとも願うからだが、こちらについては奏者にはどうすることもできない。
─―エピクテトス『語録』(第2巻第13章1‐2)
※キタラ=古代ギリシアの弦楽器
承認欲求に操られていると、
自分への影響力を手放すことになる
他者の好感を得たいという衝動に駆られると、それが強い願望となり、ひいては不安を招きかねない。自分の仕事や行動、人格に周囲の意見を反映させるようになれば、自分が持つ自分への影響力を手放してしまうことになる。
それに、何かを行うときの楽しさが半減することにもなる。
というのは、行うことそのものより、うまく行うことに意識が向いてしまうからだ。ストイシズムでは、自分で自分に送る静かな喝采さえあればいい。
(本原稿は『STOIC 人生の教科書ストイシズム』からの抜粋です)