これ以降、「差別主義者の白人にガツンとやってやる」という憎悪がずっとくすぶっていたので、真珠湾攻撃をしたとき、日本中がオリンピックで日本人選手が金メダルをとったようなお祭り騒ぎになったのである。

 このように「差別」をめぐる争いは、国と国、民族と民族の衝突につながりやすい。しかも、令和の日本に溢れる「差別狩り」の多くは、「差別主義者」と指摘された側がまったくその自覚がなく、それどころか「理不尽な言いがかりをされた」と被害者意識が強まっている。いつ「殴り合い」に発展してもおかしくないほど、憎悪が高まっている。

「差別のない社会を目指せ」と誰かの言動をチェックして糾弾することは、実は次の争いの種をせっせと蒔いていることに等しい。「差別狩り」をしている人たちは、その前に一度、胸に手を当てて「これは本当に糾弾しなくちゃいけないほど差別的なことなのか?」と自問自答してみてはいかがだろうか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

フジ新人アナへの“容姿イジリ”に批判殺到…「差別狩り」を繰り返す世界に絶望が深まるワケ