つまり、戦時中の「非国民狩り」や、ちょっと前の「マスク警察」と基本的な構造はかわらない、「善意の日本人」による世直し運動というわけだ。

「差別狩り」は世界を“もっとダメ”にする

 さて、そう聞くと、「世の中はギスギスした感じになるけれど、批判をすることで差別がなくなって、人権意識が高まるのだから社会にとってはいいことなのでは」と思う人もいらっしゃるかもしれない。

 ただ、個人的には真逆だと思っている。今のまま「差別狩り」が進むと、社会が良くなるどころか、異なる価値観の人々同士が憎み合う悲惨な社会になると思っている。

 例えば、日本人同士で凄まじい潰し合いや憎しみ合いが始まって国内の分断が深刻化するかもしれない。あるいは、国際社会からの「差別」の指摘に憤慨し、国際社会と敵対して「日本には日本のやり方がある」などと訴えてかつての戦争と同じように孤立を深めていくのだ。

 バカバカしい妄想だと思うかもしれないが、実は人類の争いの多くは「差別」をめぐる争いがトリガーになっている、という動かし難い事実がある。