わかりやすいのは、1919年に日本が国際連盟規約に「人種差別撤廃」を定めようとしたときだ。

 第1次世界大戦後のドイツとの講和条約を議定するために開催されたパリ講和会議で、日本の代表団は「人種的、宗教的な憎しみが紛争や戦争の源泉となってきた」と主張して粘り強く交渉した。

 国際連盟規約の前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むよう提案したのだ。

 もちろん、これは単に「日本スゴイ!」という美談ではない。南洋旧ドイツ領委任統治問題や山東問題で有利な条件を引き出す、駆け引きとして西側諸国を揺さぶる議題を出したという見方もある。

 結局、出席者16名中11名の賛成を得たが、議長であるアメリカ大統領が「このような重要事項の決定には全会一致を要する」として、この提案は退けられた。

 では、この後、日本国内の世論はどうなったかというと、アメリカや植民地を多く持つイギリスなどを「差別主義者」とみなして、それらの国への憎悪が盛り上がった。背景にはアメリカで排日移民法ができて反米感情が盛り上がり、日本人移民が冷遇されることなどがあった。