当時のニューデリーでは、有料のケーブルテレビを含めるとすでに30局以上が受信できたのだが、BBCとCNN以外の局はのんきにヒンディー映画などを流しており、臨時ニュースのテロップを流す気配さえなかった。
事故現場の村に
いそいで駆けつけた
詳しい情報を知るために、ジャーナリストの友人たちに電話をかけまくって調べた結果、衝突したのはサウジアラビア航空機とカザフスタン航空機で、墜落場所はニューデリーの人口密集地帯ではなく、西に100キロほど離れたチャルキ・ダドリ村であることがわかった。
当時の私は、日本の新聞と月刊誌に、それぞれインド紹介の連載コラムを持っていた。
(実際に事故現場へ行き、この目で様子を確かめて記事を書かなくては!)
そう思い立ち、友人で旅行会社社長のWさんにたのんでタクシーを1台チャーターしようと試みた。ところがWさんは、タクシーで現場まで行くのは難しいという。
「チャルキ・ダドリ村のちょっと手前に、時々山賊が出る荒野があるんですよ。もう夜だし、タクシー運転手は行くのを嫌がるでしょう。護衛を連れて、私がみずから運転して行きますよ」
山賊うんぬんに関しては、半分ジョークだったのかも知れないが、定かではない。ともあれWさんがハンドルを握り、助手席にはいざという時に山賊と戦うため(?)の護衛、私は後部座席に乗り込んで、一路、チャルキ・ダドリ村への道をひた走った。
ちなみにWさんは、かつてインドの病院で盲腸の手術を受けた際、腎臓の1つを勝手に摘出されてしまったという恐ろしい経験の持ち主だ。悪徳外科医はWさんに黙って腎臓を取り出し、高額で売り飛ばしてしまったらしい。
「そういうことが、たまに起きますからねえ。インドの病院には気をつけてください」
そんなトンデモナイ話を聞かされながら、未整備のガタガタ道を揺られること、約2時間半。幸い山賊が出ることもなく、無事にチャルキ・ダドリ村にたどり着いてみると、そこには一種異様なムードが漂っていた。
月明かりに照らされた広大な綿花畑。その上に色々なものが散乱し、生まれてから一度も嗅いだことのない、胸が悪くなるような臭いが立ち込めていた。