サンダル履きの筆者の生足に
触れたのは「ちぎれた手首」

 警察や消防、あるいは軍隊による厳戒態勢を想定し、私は少し前にインドの観光大臣からいただいていた“普通なら入れない所へも入れてもらえる”「特別許可証」を携行していた。

 しかし、そんなものは必要なかった。なにしろ事故現場にはロープが張ってあるわけでもなく、警察や軍隊に制止されることもなく、誰でも勝手にそのあたりを歩き回れる状態だったのだから!

 綿花畑のど真ん中だから、街灯もなく、光源は持参した懐中電灯と月の光だけ。

 この時、サンダルを履いた自分の足に、何かぐにゃりとした温かいものが当たった。急いで懐中電灯で照らして見た途端、うっと息が詰まった。私の生足に触れていたのは、あろうことか、千切れた人間の手首だったのである。

 よくよく見ると、あたり一面には人間の身体のパーツらしきものが至る所に飛び散っていたではないか。

 大腸と思われる細長い紐状のもの。目玉。千切れた手足。身体のどのパーツなのかわからない肉片。人体の、それこそありとあらゆるパーツが、ぐちゃぐちゃにぬかるんだ大地の上に無残にも放り出されていたのである。

 あまりにも非現実的な光景を前にしたせいか、私は驚くほど冷静だった。怖さや気持ち悪さといった感情も湧いてこなかった。

 そこへ村人がやって来て、「あっちには、もっといっぱい死体があるよ」と興奮気味に教えてくれた。言われるがままに、村人が指さしたほうへ行ってみると、そこはさらに阿鼻叫喚を極めていた。

 その一角には警察当局がいて、着々と遺体の片付けが行なわれていたのだが、その情景は、「むごたらしい」の一語に尽きた。彼らはパワーショベルを使って次々に遺体を掬い上げては、まるで生ゴミを処理する時のような乱暴さで、大型トラックの荷台に向かってドサドサと音を立てて投げ込んでいたのである。

――これが、不慮の事故が起こった時のインド式の弔い方なのか?

 毛布に包んでもらうこともなく、パワーショベルで片付けられていくご遺体。事故で亡くなった方たちも、こんな最期を迎えたくはなかっただろう。気がつくと私はご遺体の山に向かって頭を垂れ、両手を合わせて、犠牲者の冥福を祈っていた。