全世界で約3万7000軒の店舗数を誇る人気コーヒーチェーン・スターバックス。しかし実は、2018年までイタリアには進出できなかったという。そもそもスタバ自体、イタリアのバール文化にインスピレーションを得て誕生したチェーンなのに、なぜ “本家”のイタリアで苦戦してきたのか。本稿は、島村菜津『コーヒー 至福の一杯を求めて バール文化とイタリア人』(光文社)の一部を抜粋・編集したものです。
バール文化にインスピレーションを得た
スターバックス
その昔、銀座に「スターバックス(スタバ)」が登場した時、ちょうど訪日していたガンベロ・ロッソ社(イタリアのグルメ専門出版社)の社長、ステファノ・ボニッリ氏が、ぼそっと呟いた。
「そのうち、イタリアにもスターバックスが攻め込んでくるんだろうなあ」
2021年秋の時点で、世界には3万3833軒の「スターバックス」がある。発祥の地、米国には1万6000軒、中国や東南アジア諸国とともに日本は大きなマーケットで、1700軒弱がある。
なぜ、ボニッリ氏が、そんなことを言ったのかというと「スターバックス」は、そもそもイタリアのバールにインスピレーションを受けたものだからだ。イタリア風の本格コーヒーが飲めるというのが売りだった。
その出発点は、70年代、シアトルの3人の大学生がつくった小さな焙煎所にある。
文学好きの彼らは、メルヴィルの『白鯨』に登場するコーヒー好きの航海士(スターバック)にあやかって、名づけた。それは当初、国内のインスタント・コーヒー会社が巨大化する一方、アメリカでにわかに火がついた高品質コーヒーの流れに与していた。
87年、すでに売りに出されていた「スターバックス」を買い取り、これを世界ブランドにしたのは、82年に同社に店舗開発とマーケティング部門の役員として入社し、85年に創業者たちとの意見の対立から独立したハワード・シュルツだった。
彼は、83年、社命でイタリアの見本市に出かけた。そして、ヴェローナでカフェ・ラッテを口にした時、彼によれば「まるで神の啓示のようだった。あまりに突然で、私は激しい衝撃を受け、身体が震えた」(マーク・ペンダーグラスト『コーヒーの歴史』樋口幸子訳、河出書房新社)のだという。
帰国した彼は、エスプレッソ・バーの出店を提案し、これを任される。その後独立し、「イル・ジョルナーレ」というイタリアの新聞の名にあやかった店を出した。
秀逸だったのは、イタリアのせわしないバールより、もう少し落ち着いて飲める空間をつくり、アメリカ人の味覚に照準を合わせた(ミルクたっぷりでマイルドな味)ことだった。こうして、カフェ・ラッテは、“カフェラテ”に変容し、人気を博した。