近くの八百屋さんに「若いのに赤字会社で深夜まで働かされてかわいそうだ。さぞかしつらいだろう」と慰めの言葉さえかけられたこともあるほどでした。
半年もたたないうちに、稲盛さんは嫌気がさして、同期入社した5人の友人と一緒に会社を辞めて自衛隊に入ろうと話をします。しかし、実家のお兄さんから「教授に紹介してもってようやく入れた会社なのに、すぐに辞めるとは何事か」と反対され、結局、書類が揃わずに、稲盛さんだけが松風工業に残ることになりました。
ここに至って稲盛さんはついに覚悟を決めました。最初は「行くところがなくなり開き直った。憂さを晴らすためにも研究に打ち込んだ。諦めをもって打ち込んだ」そうですが、打ち込んでみると専門でもないのに成果が出るようになりました。上司にも褒められ、もっと頑張ってみようという気持ちになったそうです。
稲盛和夫が興味のない仕事にも
モチベーションを高く保てた理由
自分の仕事に前向きに取り組むようになった稲盛さんは、自分が担当している新しい絶縁材料の開発に成功すれば、それがテレビを構成する小さな部品の1つでしかなくても、日本のエレクトロニクス産業の発展に大きく貢献できることに気が付きました。