そして、自分の仕事が社会の発展に貢献できる意義深いものだと分かると、さらにモチベーションが高まりました。あんなに嫌だった仕事が好きになって、どうしても成功させたいと強い思いを抱くようになり、自ら進んで昼夜を分かたず研究に打ち込むようになるのです。
ただ、稲盛さん自身は無機化学の知識に乏しく、社内に相談できる人もいません。そもそも、当時は日本国内で弱電用絶縁材料になるファインセラミックを研究している人は少なく、参考文献さえありません。それでも自分の仕事が好きになった稲盛さんは諦めませんでした。海外から英文の論文なども取り寄せ、それも参考にしながら研究に没頭するようになるのです。
すると、すぐにでも辞めたいと思うほど嫌だった仕事がたまらなく面白くなりました。そしてついに、当時のテレビ用ブラウン管には不可欠なフォルステライトという新しいセラミックの絶縁材料の合成に世界で2番目に成功するのです。
その素材で作った絶縁部品は、日本のテレビ産業の発展に貢献すると同時に、赤字続きの松風工業も救い、その後の京セラの成長発展の起点ともなりました。