世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、空海の『三教指帰』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

若き日の空海が、考えに考えて、儒教と道教と仏教はどれが一番優れているかについて答えを出した書。もちろん、全部素晴らしい教えであることは間違いない。空海が儒教と道教と仏教を同時に解説してくれるというお得な一冊だ

儒教と道教はどっちがすごい?

 空海は『三教指帰』の序章にこの書物を書いた理由を記しています。

「空が晴れ渡っているときには必ず太陽がそのおおもとに現れているように、人が心に何かを感じたときにこそ、人は筆を執って、その思うところを文章であらわすのです」(同書)

 空海が24歳のときの著作で、儒教・道教・仏教を代表する3人の人物を登場させ、仏道が最も優れていると説かれるストーリー形式の書です。

 仏教に傾倒した空海は、大学(貴族の子弟が通う学校)を中退し、求聞持法(ぐもんじほう)をきわめ、仏道修行をしようと決意しました。『三教指帰』には当時の空海の気持ちが込められています。

 この上巻では、儒教の亀毛(きもう)先生という人が、兎角公(とかくこう)の家にまねかれたところ、兎角公の外甥の蛭牙(しつが)公子というグレてしまった青年について相談されました。

 そこで亀毛先生は甥を叱ります。彼の両親をうやまわない態度、肉食と酒にまみれているありさま、女性に対する情欲などについてたしなめたのです。

 心を入れ替えれば功名をたてたり大成できると説きます。すると蛭牙公子はひざまずいて、心を入れ替えました。

 ところが、中巻になりますと、実は座敷のかたすみに道教の虚亡隠士(きょぶいんし)という人がすわっていた様子が描写されます。

 虚亡隠士は、亀毛先生に向かって「いまの話はどうしようもない」。「他人の欠点を暴き出してもしょうがない」と全否定。

 そこで、三人は、虚亡隠士の道教の教えを聞くことになります。

仏教の真理が究極だという空海の教え

 虚亡隠士は、「あなたたちに不死の神術の秘密を教えよう」と仙人になる道を説き始めます。三人はよろこんでこの教えに聞き入りました。

 その内容は、肉欲・貪欲を離れ、穀類は毒で、にら、らっきょう、にんにくは猛毒、もちろん酒や肉もダメ。美女に触れたり、歌ったり踊ったりは命を失う行為というように、仙道をきわめるための禁止事項が長々と説かれます。

 さらに、仙道の呼吸法や水の飲み方、仙薬による養生ノウハウが語られます。これをきわめると天空に登れるし、テレポーテーションもできるし、若返って不老不死となるそうです。

 さらに隠士は世俗の人々が貪欲にまみれて、水の泡のように消えやすい財産をあつめ、分不相応な幸せをねがっていると説きます。

 ちょっとでもいいことがあると有頂天になり、悪いことがあると落ち込むと説くなど、現代の一般人を説明しているような鋭いところがあります。

 この教えを聞いた三人は、並んでひざまずき、声をそろえて「道教が儒教よりすぐれている」と答えます。

 そして、いよいよ下巻では、空海の分身である仮名乞児(かめいこつじ)が登場するのです。乞食修行をしていたら、彼は偶然にこの場にたどり着き、さっきの論争を聞いてしまったのでした。

 仮名乞児は、人間は輪廻するものだし、五蘊(ごうん)が仮に合わさってできたものなのに、二人はこれに気づいていないと思いました。そこで、仮名乞児は直接論争をいどまずに二人に手紙を送ったのです。

 なんとそこには、儒教も道教も仏教の一部分であるという真理が説かれていたのです。

 仏教の真理が賦として記されており、儒教と道教を説いた二人は、これに感激します。最後に儒教・道教・仏教の三教をあきらかにする「十韻の詩」で終わります。

『三教指帰』は、空海の文筆力から伝わってくる響きがありますので、ぜひ原典に触れていただくことをおすすめします。