「嫌い」とは異なる2つの感情

 いや、そういうわけじゃないです。嫌なら距離を取ればいいだけですし。でも現実では、距離を取るどころか、社内に自由参加の会議がいくつかあるのですが、Kさんが出るなら自分も参加しよう、と思うくらい。だから、苦手ということもなくて、むしろ同期の中では仲の良い方じゃないかな。何なら会議では隣や向かいの席に座って、お互いに質問し合ったりしてます。

 そこで僕は、あらためてHさんに、Kさんに対する気持ちを訊いた。
 するとHさんの中に、相反する2つの感情が同居していると言う。

 1つはこう。

「Kに負けたくない。対等に付き合える自分でありたい」

 そして、もう1つはこうだ。

「Kに出会えて本当に良かった。Kと同期になれた自分はとても幸運で、自分は本当に人に恵まれている」

ライバルに抱く「相反する感情」

 これまで一度もライバルがいたことのない人は、ライバルがいる人に対して、こんなイメージを持つかもしれない。

「人と戦うとか、ちょっと怖い」
「そんな生き方、なんか疲れそう」
「なんでわざわざ敵とか作るの? 友だちいなくなっちゃいそう」

 ライバルという存在に対するネガティブな印象が強く、結果、「自分はそうなりたくない」「自分はそういうタイプじゃない」と感じる。実際に本研究のインタビュー調査でも、類似の意見を多数聞いた。

 ただし、実際にライバルがいる(あるいはかつていた)という人が抱くライバル観は、これとは異なる。それが、Hさんの最後の言葉に凝縮されていた。

「あの人にだけは負けたくない」
「あの人に出会えて本当に良かった」

 この2つの言葉だ。
 そんな相反する感情が、ひとりの人間の中に完全に同居しているのだ。

「好敵手」は敵であり、友でもある。

 この事実は、僕にとって1つの発見だった。当初は、この2つの感情は同居しえないと考えていたからだ。
 明らかに相対するイメージであり、ひとりの人が、同じくただひとりの人に抱く感情としては複雑過ぎると思っていた。

 しかしふたを開けてみれば、結論は違っていた。
 インタビュー調査や、このあと解説する質問票調査の結果からも、多くの人が誰かひとりのことを「ライバルであり、友でもある」と認識していることが示唆された。 

 (本稿は、書籍『ライバルはいるか?』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です)