話題の人やできごとがSNS上で
短時間のうちに消費されていく

 こういった傾向は、SNSの普及に伴ってますます強まっている。SNSではユーザー同士が、各々が持っているできごとや関係者に関する情報を発信し、ユーザー同士で情報を補完し合う傾向(注1)があり、そこでは小さな情報が大きな物語として昇華していく。

(注1)意図的に情報を補完し合っているわけではなく、各々が起点となる投稿にリプライをしたり、同じハッシュタグを使って新たな情報を提供したりすることで、結果的に1つのデータベース(コンテンツ)となり、人々に拡散されていく。また昨今、人々は情報ソースとしてSNSの検索機能を用いている。検索されると「話題の投稿」はまとめて表示されるケースが多く、そのワードで検索したユーザーは総じて同じ投稿をみることとなり、そのような形でも情報が拡散されていく。

 たとえばオリンピックで金メダルをとった選手がいると、その選手が過去にインタビューでオリンピックに関して発言している記事や動画がSNSに投稿され、さらにそれを補完するように他のユーザーがその選手の生い立ちのエピソードや幼少期の写真・映像を投稿する。

 そして、金メダル獲得という物語を、連続性のある大きな物語としてSNS上で消費していく。人々は話題の人やできごとをフックとして盛り上がり、共感したり、感動したりするのである。

 話題の人物に対して井戸端会議をするのは、今も昔も変わらない。しかしSNSは、様々な人々が使うインターフェイスという性質もあり、関係者や熱烈なファンによる情報提供を通じて、マスメディアではわからない人となりを知ることができるため、より親近感を抱かせ、応援したいという感情を掻き立てる。

 ただ、SNSにおける情報やブームの変わりゆくスピードは速く、ヒトやできごとはインスタントに使い捨てられ、代わる代わる消費されていくという負の側面もある。殺人事件や事故などの悲しいできごとも瞬間的な話題として消費されるが、瞬く間に人々の関心は薄れていくことが多い。誰もがパパラッチのように「今」を投稿し、ネットの海や現実を詮索できるようになったことともあわさり、国民全体が無責任な報道を行い、人々を煽っているともいえる。