
性別決定に関わる性染色体にはX型とY型があり、メスの染色体は「XX」でオスの染色体は「XY」で構成されている。ところがトゲネズミにはY染色体がないのにオスが生まれる、不思議な進化が起きている。これは生物学の常識を覆す発見で、哺乳類の性決定メカニズムに新たな視点をもたらした。多様な環境が生物の進化を促し、性のバリエーションも自然の一部であることがうかがえる。生物の進化から学ぶ多様性の意味とは。※本稿は、黒岩麻里『「Y」の悲劇 男たちが直面するY染色体消滅の真実』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
性を決定する遺伝子がないはずなのに
トゲネズミはどうやってオスを生むのか
私はトゲネズミという哺乳類について、長年研究を行っています。トゲネズミ属は3種から構成される日本固有のげっ歯類で、沖縄、奄美大島、徳之島にしか生息しておらず、それぞれの種に島の名前がついています。
この種のうち、アマミトゲネズミとトクノシマトゲネズミはY染色体をもたず、オスもメスもX染色体1本のみのXO型です。メスはXX型で良いように思うのですが、なぜだかメスもXO型です。染色体が1本少ないので、染色体数は奇数(アマミは25本、トクノシマは45本)となります。そして、SRY遺伝子(編集部注/SRY(sex-determining region Yの略。哺乳類の性決定遺伝子)を完全に失っているのです。
ヒトを含む多くの哺乳類では、Y染色体なしにオスが生まれてくることはありません。Y染色体があったとしても、SRY遺伝子が欠失したり機能できない場合は、精巣がつくられないため、やはりオスの誕生は不可能です。しかし、トゲネズミはY染色体やSRY遺伝子なしに、オスが生まれてくるのです。
Y染色体もない、SRY遺伝子もない哺乳類種は世界的にも大変珍しく、多くの研究者が注目する存在です。しかし、トゲネズミ属は劇的にその数を減らしており、絶滅危惧種に指定されていることに加え、1972年から国の天然記念物にも指定されています。
「絶滅しかかっているのは、Y染色体を失ったからですか?」とよく質問されますが、そうではありません。森林伐採などによりトゲネズミの生息環境が減少した、島に導入されたマングースや飼い猫が野良化したノネコによる捕食、などが主な原因です。
トゲネズミの祖先はY染色体をもっていました。しかし、ある時、私たちにいつか訪れるであろうといわれているY染色体消失(編集部注/オーストラリア国立大学の教授だったジェニファー・グレイブスは、2006年発表の論文で「人間のY染色体はいつか消えてなくなる」と提唱した)が、実際にトゲネズミたちに起きたのです。しかし、トゲネズミはこの危機を乗り越え、素晴らしい進化を遂げたにもかかわらず、現在は、人の手により絶滅の危機にさらされています。
SRY遺伝子に依存しない
性決定の新メカニズムとは?
SRY遺伝子なしにどうやってオスが生まれてくるのか?
SRY遺伝子に依存しない新しい性決定のメカニズムがあるはずなので、それを解明することが私の大きな目標でした。
そこで最初に調べたのは、SRY遺伝子以外のY染色体上の遺伝子はどうなったのか?ということです。Y染色体上にはSRY遺伝子以外にも、精子をつくる遺伝子など、オスにとってなくてはならない遺伝子が存在しています。