親と離れて暮らしていると、年に2回の盆・正月の帰省や冠婚葬祭など、ハレの日の元気な親の姿しか目にする機会がなく、実際はガタがきているのに気づけないことも。また、子の性別によって親からの依存度が変わったり、男親ならではのリスクもあるという。本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
「親は何とかやっていくだろう」
根拠のない安心感が危険
「郷里に年老いた親がいるが、電話で元気だと言っていたから、大丈夫なんだろう」
都会に住む中高年者には、親のことが気にかかりながら、そんな思いで忙しい日々を過ごす人は多いのではないだろうか。
その安心感は、離れて暮らす親がひとり暮らしか、夫婦二人暮らしかで異なり、ひとり暮らしでも、それが母親か父親であるかによって異なっている。
ひとり暮らしの場合、父親より母親のひとり暮らしの方が安心するし、さらに、両親が二人暮らしを続けている間は、「盆・正月」の帰省はしても、根拠のない安心感で「2人で何とかやっていくだろう」と、その生活に無関心になってしまいがちである。たとえ、両親とも超高齢者になり不自由さが増す暮らしになっていても、どちらかが弱っている場合でも。
もちろん家族関係は、家族ごとに多様で、人それぞれ。昔から仲が悪く、親の顔も見たくない。子どもの頃ひどい暴力を受け、親子の縁など切り捨てて生きてきた。気にかかっても、経済的に余裕がなく、自分が生きていくだけで精一杯。外国に住み、そうそう気軽に帰れない。……などなど、それぞれの事情が絡む。
しかし、経済的に困窮して暮らしに追われるわけでもなく、特段親子関係が悪いわけでもなく、有給休暇も取れない厳しい職場環境でもなく、手がかかる子どもや病人がいるわけでもないにもかかわらず、先に述べたような関係になってしまう人がけっこう多いのは、なぜなのだろうか。
もちろん、親子関係とは親と子が相互につくるものだから、「親任せ」の関係を、子どもの側が一方的につくっているわけではない。しかし、いまの高齢世代の親世代、つまり明治・大正初期生まれの高齢世代までは、子ども家族と同居し、その保護を受ける暮らしの方が多かった。