80年代中高生に絶大な人気を誇った『三宅裕司のヤングパラダイス』(ニッポン放送)にはじまり、現在パーソナリティをつとめる『三宅裕司 サンデーヒットパラダイス』(ニッポン放送)まで生放送歴40年のキャリアを持つ三宅裕司。そんな三宅が同じくパーソナリティのレジェンド・伊東四朗さんと対談。いったい、どんなラジオ論が飛び出すのか――。本稿は、三宅裕司『しゃべり続けて40年 今だから話せるナイショ話 三宅裕司ラジオパーソナリティ対談集』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
ピンク・レディーの代打で司会
「2本だけ」のはずが300本以上に
三宅 伊東さんはラジオを始めた頃から、テレビでも番組の司会とかもやるようになりましたよね?
伊東 テレビの司会も私は1人でやるのはどっちかっていうと苦手で。一番最初にやったのは『ザ・チャンス』(TBS)ってやつじゃないかと思うんですよね。それはピンク・レディーのピンチヒッターなんですよ。『ザ・チャンス』(注1)の司会をピンク・レディーがやってたんですけど、アメリカでテレビ出演をするため帰ってこられなくなって「2本だけやってくれ」って言われて。結局、ピンク・レディーが帰ってこなくなっちゃって300本以上もやったの。
三宅 ピンク・レディーの代わりに伊東さんっていうのもすごいですよね。
伊東 その発想がよくわからない。健康ランドの客だったら怒り出すね。
三宅 テレビの司会も300本以上やって、ラジオも結局40年も続けてるのはすごいですよねえ。
伊東 ラジオの正解って、どういうところにあるのかよくわかんない。それで40年もやってるんです。