青山通りを渋谷方面へ向かい、常盤松の東宮仮御所へ。8.8キロ、約1時間のコースであった。
沿道に53万人の見物人殺到!
1500万人の国民はTVに齧り付いていた
国民の休日となったこの日、パレードを一目見ようと沿道に集まった人は53万人。パレードは日本のメディア史で最大級のイベントとなった。テレビ各局は6年前の1953(昭和28)年の放送開始以来、最大の中継体制を敷いた。NHK、KRT(現・TBS)系、日本テレビ系の三系統で沿道に10数カ所の中継地点、100台以上のテレビカメラを配置。総人員は約1500人、制作費は2350万円に上った。パレード直前の4月3日時点で日本人のテレビ保有台数は200万台を突破した。1年ほどで倍増したことになる。人々はかじりつくようにテレビに見入り、1500万人がパレードの中継を視聴した。
二重橋を渡った馬車列は皇居前広場に入った。午前7時前から参観者が詰めかけ、なかには夜明け前から座り込んでいた人もいた。団体客用の「桟敷席」もあった。馬車の車輪が小さな砂利石を跳ね上げ、それがときおり「頬に当たって痛かった」と美智子妃はのちに語っている。
広場から祝田橋方面へ右折し終わったときだった。灰色の背広を着た男が群衆のなかから飛び出し、皇太子夫妻の乗る馬車めがけて石を投げ、駆け寄って乗り込もうとした。馬車の後部に礼装姿で立っていた宮内庁の職員は「てっきり手榴弾だと思いましたよ。1発は妃殿下の頭上をかすめ、もう1発は扉にあたりました」と話している。
男はすぐに取り押さえられた。長野県出身の19歳の少年だった。動機は天皇制と“お祭り騒ぎ”への反発、巨費を投じて東宮御所を建設することへの憤りと報じられたが、「精神障害」ということで片付けられた。この騒動はテレビの中継放送で映し出されていたが、NHK以外の局は何ごともなかったかのように説明をスルーした。
馬車列は午後3時ごろ、四谷から信濃町の商店街を通過した。歩道も家屋の二階も見物人で立錐の余地もなく、午前6時から待っていたお年寄りもいた。