2024年で世に「ミッチーブーム」を巻き起こした上皇陛下のご成婚から65年を迎えた。沿道には53万人の見物人、普及し始めたTVの前に集まったのは1500万人の観客。まさしく日本メディア史最大級のイベントとなった結婚式の舞台裏とは――。※本稿は、井上亮『比翼の象徴 明仁・美智子伝 中巻 大衆の天皇制』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。
1959年4月10日
全国民の視線の先はあの“2人”に向けられていた
宮中三殿での儀式を終えた皇太子夫妻は昼食をとったあと、午後2時から仮宮殿「西の間」で裕仁天皇、良子皇后への結婚のあいさつである「朝見の儀」に臨んだ。明仁皇太子は燕尾服に大勲位菊花大綬章、美智子妃はローブ・デコルテに勲一等宝冠章を佩用していた。
宮中三殿の儀式での装束から洋装に切り替える際、皇太子はともかく美智子妃はたいへんだった。おすべらかしの髪を整えていた油をベンジンで洗い落とさねばならず、ちぢれ毛の美智子妃は相当量のベンジンを使わなければならなかった。時間短縮のためシャンプーを使いたいという要望は「先例がない」ということで却下された。
「朝見の儀」では夫妻はそろって天皇、皇后におじぎをし、皇太子が「結婚の儀が無事すみました。ありがとうございました」とあいさつ。天皇、皇后から祝いの言葉を受けた。それから皇太子、美智子妃の順で天皇、皇后と盃を交わす。そのあと天皇がお台盤(食卓)の馬頭台(箸を置くところ)に銀の箸を立て、もとのように置く。皇太子、皇太子妃もそれにならい、「朝見の儀」は15分ほどで終了した。このあと天皇、皇后、皇太子、美智子妃の4人で記念撮影を行った。
「朝見の儀」を終えた皇太子夫妻はそのまま宮内庁庁舎正面玄関に移動し記念撮影。いったん庁内に戻ったが、すぐに玄関に現れて東宮仮御所までの「パレード」のため馬車に乗り込んだ。午後2時半、馬車列は出発した。馬車は良子皇后が「憤慨した」6頭立て4頭引き。2人の騎乗官が2頭に乗って先頭を行き、4頭が馬車を引く。屋根のないオープン馬車で、進行方向に向かって右に明仁皇太子、左に美智子妃が座った。
馬車列は先頭に警視庁の騎馬巡査二騎、そのあとに馬車を囲んで宮内庁と皇宮警察の騎馬隊36騎。東宮大夫、侍従長らを乗せた供奉車2台も随従した。二重橋を渡り警視庁前、三宅坂を過ぎて半蔵門で左折。新宿通りを四谷三丁目まで進んでから信濃町方向へ曲がり、神宮外苑の絵画館横を過ぎてから、イチョウ並木をまっすぐ進む。